斎藤信次残日録 其の五十一
コロナと甲子園

8月1日から、主にWebセミナーの募集、申し込みの管理をしていた「SHOP of THE SCIENCE NEWS」と、従来の「CHIRO-JOURNAL.COM」を統合し一本化した。なぜ別々にやっていたのかと言うと、いろいろあってそうなっていたのだが、あと何年この仕事をやれるかわからないので、やっておかなければならないことだった。取り敢えずはひと安心、一つケリがついた感じだ。

よし、よしと思った矢先、3日から熱が出た。「しまった、完全にもらった」と思い、とにかく科学新聞社で唯一関わりのある佐藤に連絡した。佐藤も濃厚接触者に当たる危険性があったので、内心穏やかではなかったと思う。その日は自宅で様子を見、翌日も熱が下がらなかったので、観念して発熱外来に行った。

クリニック名を挙げたらマズいかな、と思い書かないが、保険が利く病院と利かない病院があることを知った。ネットで調べてから予約して行ったのだが、熱でフラフラしている状態では、距離的に保険が利かなくてもそこに決めるしかなかった。

診察を受け、クリニック直営の薬局でロキソニンを購入し帰宅。早速1錠飲んで布団に入ったら、あっという間に寝込み数時間後に目が覚めた。「あれっ、エライ楽だな」と、体温、血圧、血中酸素濃度を計ったら、すべて通常の値だった。「こりゃ、セーフかも」と翌日の翌日の検査結果を待った。結果は陰性、正直「助かったぁー」と胸を撫で下ろした。すぐさま佐藤に連絡、さぞや安心したことだろう!

その後のスケジュールだが、7日(日)は榊原君のセミナー、8日はWebセミナーの担当、安原が来社する日に当たっていた。10日は最近ちょっと加勢している、YouTube「週刊カイロプラクティック」の眞﨑(まさき)君が大阪から出てきて、昼にハルカちゃん(山﨑美佳:やまざき はるか)に、夕刻前には翌日のセミナーのために和歌山から出てくる辻本と一緒に、ドクター(御大、塩川満章氏)のところに行くことになっていた。そして、11日(金・祝)は辻本のハンズオン・セミナーと続いていた。もしコロナだったらと思うと、代わりがいない中、一体どうなっていたんだろうと、事なきを得た今でもぞっとする。

盆は宮城県の両親の墓参りに行く予定もなし、何もすることがなかったので出社していたが、社員は数えるほどしか出ていないし、電話も鳴らないし、それほどメールの受信もない。実にのんびりしたものだった。

盆明けに直接の電話やWebセミナー時に聞いた話は、軒並みコロナに感染したという話ばかりだった。まず30数年来の腐れ縁、秋山さんが、高知の山﨑(やまさき)が、宮崎の門川(かどがわ)が、広島の新屋(しんや)さんが、そして前述の眞﨑君が、次から次にという感じだった。どこでもらっても全く不思議のない状況としか言いようがない。

そんな中、生まれ故郷、宮城県(育ちは圧倒的に福島県だが)の仙台育英高校が甲子園の全国制覇を成し遂げた。高校在学時(50年以上も前の話だが)、母校が甲子園で準優勝したことがあり、その後も優勝旗が「勿来(なこそ)の関」(福島県の南端、茨城県との境)を越えることはなかった。それがやっと叶ったのである。郷土愛の薄い私でも東北で初めてというのは、自称、謎の東北人としては、「でかした」と快哉を叫びたい気持ちだった。勝利監督の試合後のコメントが、またとても良かった!


斎藤 信次(さいとう しんじ)
2016年6月、科学新聞社の代表取締役社長を勇退、顧問に就任今後はこれまでの経験を活かし、同社の出版事業をサポートするかたわら、広く手技療法界全体の活性化を目指し、独自の活動を展開していく予定幅広い人脈を持ち、また人情味にも厚く、業界の良き相談相手であったことから、今後ますますの出番が予想される力強い助っ人

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