岡井健DCのI Love Chiropractic ! 臨床編
第1回「腕の痺れ」

I love Chiropractic! 今年は臨床編として半年間、月一ペースで掲載

 毎年秋の恒例となっている岡井健氏のマイプラクティス・セミナー、これまではサンクスギヴィングに合わせ帰国し開催となっていたが、この時期、日本の紅葉シーズンと重なり、交通機関はごった返し、またインバウンド需要で宿もままならないのではと、今年は10月5日、6日の土日に、東京・大井町駅前の「きゅりあん」で開催することになった。これに先立ち、しばらくお休みさせていただいていたWebセミナーも、5月19日、7月7日、9月8日の日曜日、午前9時から11時までの2時間、前半はプラクティスする上での岡井氏の実践哲学、後半は臨床30年以上の中から注目度が高いと思われる症例を紹介させていただく、2部構成で開催することになった。
 さらに、である。今月からWebセミナーでは紹介し切れない症例の中から月1回ペースで、本サイトの連載シリーズを臨床編として紹介していただくことになった。第1回は「腕の痺れ」、今月から10月まで、岡井氏の発信から目が離せない。
 

第1回「腕の痺れ」

 カイロジャーナルの読者の皆さん、お元気でしょうか? 久しぶりの寄稿となりますが、今年はこれから月1回のペースで、皆さんの臨床のお役に立てばという想いで、私の30年以上の臨床経験の中から、いくつかの症例とアプローチの仕方について、ざっくばらんに私ならではのスタイルでお伝えできればと願っています。これらの症例の中には、私が何度も痛い思いをした末に、やっと効果的な治療法にたどり着いたものもあり、これを最初から知っていればと思ったものを中心にお伝えしたいと思います。

 今回お伝えする最初の患者さんは、30代後半の3人の子育て真っ只中のお母さん。上は小学生、下は3歳という子育てが一番忙しい時期でした。そんな中、首の痛みに伴い左腕が徐々に痺れるようになって、どんどん痺れが悪化しているとのことでした。首の痛みよりも、肩甲骨の間の痛みがより強くなっているとも言っていました。はっきりした原因は本人にはわからないし、特に何か原因となることをした記憶もないとのことでした。

 私もまだ30代後半で、まだまだ未熟でしたが、なぜか自信だけは一人前でした。腕の痺れと聞けば、カイロプラクターはついつい下部頚椎から上部胸椎に目が行きます。なんと言ってもその部分から出る神経が腕に伸びているからです。アジャストメントに自信があった私は、レントゲン撮影、ナーボスコープ、理学検査、パルペーションによりサブラクセイションを数か所確認すると、C6とT1をしっかりとアジャストしました。そして、タオルを使って首に軽いマニュアルでの牽引の治療もしました。数回治療したときに、確かに首や背中はだいぶ楽になったけど、腕の痺れはなかなか変化が見られないということでした。私もアジャストする部位を変えて反応を見ましたが、劇的に腕の痺れが回復することはなかったのです。それでも少しずつは改善して、数か月後には、痺れもなくなりました。最初の3週間は週3回で治療し、それからは、週1回ぐらいで治療しました。

 最終的には完治したのですが私の正直な気持ち的には、回復が遅くてとても満足のいくものではありませんでした。私のアジャストメントが彼女の腕の痺れの回復を促進させたのか、自分でも確かではなかったのです。ただ自然治癒しただけではないかという思いや、もっと何かできたのではないかという思いに苛まれたのでした。ここで、治ったんだからいいじゃないかと、やり過ごすこともできましたし、確かに頚椎のヘルニアなどは回復に時間がかかるし、アトロフィーを起こした神経が回復に時間がかかるのも確かです。しかし臨床経験がある程度ある方はよくわかると思いますが、治療への患者の反応が、自分が期待するものとは明らかに違うケースがあります。カイロプラクターとしてサブラクセイションを、アジャストして神経への干渉を取り除けば、イネイトインテリジェンスが働き、体は自ら正常な状態に戻っていく。確かにその考え方自体は素晴らしいことで間違いないと思います。ただ、もっと結果が欲しいし、患者に早く楽になって欲しいというのが本音でした。

 私は、自分のアジャストメントの技術が未熟なのか、それともアジャストする部位が間違っていたのかなどと、いろいろと考えを巡らしました。確かに腕へ伸びる神経は下部頚椎や上部胸椎から出ています。だけど、実際に神経を干渉しているのは、背骨の部分だけなのだろうかと疑問を持ちました。解剖書を紐解き、神経の流れをたどりました。カイロプラクターは得てして、椎間板や背骨の神経の出口にしか意識を向けていないことがあります。少なくとも未熟な私はそうでした。

 頚椎を出た神経は、胸鎖乳突筋や斜角筋といった筋肉のレイヤーの間を通り、鎖骨の下を潜り、小胸筋の下を抜けて腕神経叢となり腕へ伸びていくことを考えれば、胸鎖乳突筋や斜角筋、小胸筋をチェックしなければいけない、神経の干渉がそこで起こっているかもしれないと考えました。また、肩や肘の関節などもチェックしてしかるべきでした。

 前述の女性と入れ替わるように、全く同じ症状で苦しむIT系で働く40代の男性が来院してきました。その男性は、来院する前にメールで長々と自分の症状と、いくつもの医療機関に通ったのに半年間も改善兆候がなく、もはや痛みと不安でお先真っ暗で仕事も休んで鬱状態だということを相談してきました。私は、ぜひ拝見したい旨をメールで返信しました。絶対に結果を出したいという想いと、私がこの人を救えなければ、この患者さんの人生はどうなるかわからないと思いました。

 来院された男性に問診と検査をしました。胸鎖乳突筋、斜角筋、僧帽筋などを触診すると、腕の痺れがある側の筋肉が、反対側と比べると別人のように硬くなって張っていました。症状のあるサイドの肩は、反対側の方に比べて強い巻き肩となっていました。もちろん頚椎の方にも明らかな問題はありました。レントゲンや理学検査、症状から下部頚椎の椎間板が強い炎症、もしくはヘルニアを起こしている可能性が高いことがわかりました。アドソン・テストをすると、腕の脈拍が消えることから胸郭出口症候群も併発しているのは間違いありませんでした。

 私は、自分がこの患者を治さなければ、この人の人生はこの先どうなってしまうのだろうと考えると、その責任の重さを痛烈に感じました。まずは患者に問診、検査による所見を伝えました。下部頚椎の椎間板症と胸郭出口症候群による症状だろうと説明し、原因は長時間のコンピュータ作業による姿勢の悪化と、運動不足によるものだということも伝えました。そしてこの問題により、実際に体に何が起こっているかというメカニズムと治療方法、その目的を解説し、回復するためには姿勢改善と労働習慣の改善、そして簡単な姿勢改善のためのストレッチや体操は不可欠だということを、しっかり理解するようにお話ししました。

 下部頚椎のアジャストメントとともに物理療法、ディープティッシュ・ワーク、ストレッチングで胸鎖乳突筋、斜角筋、小胸筋などの筋肉をしっかりと緩める施術と頚椎の牽引とその後のアイシング、そして、さらに鎖骨、肩関節、肘関節、手首とアジャストしながら関節の可動性を高めました。治療後に、巻き肩とストレートネックを改善させるための姿勢指導を行いました。

 半年間苦しんでいたこの患者は、私の予想よりも遥かに早く回復していきました。暗く生気のなかった男性の表情は、見る見る彼本来の明るいものに戻り、仕事にも復帰しました。彼は本当に心から私に感謝してくれましたが、私も彼に自信を与えていただいた感謝を言いたいぐらいでした。私は長年カイロプラクターとして、サブラクセイションのアジャストメントは誰にも負けないようにと修練を重ねてきました。これからもそれは変わらないと思います。サブラクセイションによって引き起こされる神経への干渉もあれば、筋肉などの組織によっても神経への干渉が起こることは誰でもわかることです。カイロプラクティック的な考察力とそういった医学的常識を兼ね備え、解剖学や神経学、生理学などいろんなことを考慮し、考察して人々の役に立ちたいと思っています。
 

 この症例以降、この問題には自信を持って対応し、ちゃんと結果を出せています。スマートフォンが世に出て以来、さらにこの問題は増えてきています。このような問題で苦しむ人がいたら、ぜひ私のところへ来てください、と言えるようになった自分を嬉しく思います。そして、改めてカイロプラクティックという技を与えられ、素晴らしい教育を受けられたことを心から感謝しています。
 

5月より開催!岡井健D.C.Webセミナー『ビタミン CHIRO』
詳細・お申し込みは下記からお願いいたします。

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岡井健(おかい たけし)DC
1964年7月4日、東京生まれ。福岡育ち(出身はこちらと答えている)。
福岡西陵高校を卒業後、1984年単身アメリカ、ボストンに語学留学。その後、マサチューセッツ州立大学在学中にカイロプラクティックに出会い、ロサンジェルス・カレッジ・オブ・カイロプラクティック(LACC)に入学、1991年に同校をストレートで卒業する。
在学中はLACCでのディバーシファイド・テクニックに加え、ガンステッド、AK、SOTと幅広いテクニックを積極的に学ぶ。
1992年、カリフォルニア州開業試験を優等で合格。1991年から1995年まで、カリフォルニア州ガーデナの上村DC(パーマー大学出身)のクリニックで、アソシエート・ドクターとして勤務した後、サンフランシスコ空港近郊のサンマテオにて開業。2001年にはシリコンバレーの中心地、サンノゼにもクリニックを開業し、サンフランシスコ・ラジオ毎日での健康相談や地方紙でのコラム連載でも活躍。
2022年8月に27年間経営したカリフォルニアのクリニックを無償譲渡し、2022年9月よりハワイ島コナに新たにクリニックを開業。庭仕事、シュノーケリング、ゴルフを楽しんでいる。
また、積極的に留学中の学生たちの面倒を見、その学生たちの帰国を皮切りに日本での活動を始める。科学新聞社(斎藤)との縁は、2005年に出版した「チキンスープ・シリーズ カイロプラクティックのこころ」の監訳に始まり、以降15年以上にわたって出版物、マイプラクティス・セミナ、カイロ-ジャーナル記念イベントなど、またカイロプラクティック・クラブとして「ソウルナイト」(スタート時はフィロソフィーナイト)など、ありとあらゆる場面で協力関係にある。

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