斎藤信次残日録 其の四十九「12月 その1」

※まず初めに、敬称のない名前がちょくちょく出てくると思いますが、これは私が普段からそう呼んでいるとか、一般的に会社等で自分のところの社長を苗字の呼びつけにすることなどから、ここでは成り行きで書かせていただきます。そのことに気を遣って、書くのが遅れたりイヤになったりしないようにとのことですので、くれぐれもご容赦願います。

 

他人様(ひとさま)の目は厳しい

「最近、カイロジャーナル・ドットコムの連載記事が減ってきましたね」と複数の人から言われ、またぞろ周りからの冷たい視線が気になり始めた。前はドットコムの管理を任せていた赤海からの「ブログ書け」コールだけだったが、最近は誰かが口に出して言ってくるのではなく、前述の言葉のようにさらりと言われるのだが、その実「暇こいてるんなら、宙ぶらりんになってるブログ書けよ」って、あっ、耳鳴りが、あっ、あっ!

当ドットコムをもう少しデザイン的にテコ入れしようと思い、コロナがこのような騒ぎになるなど全く考えもせずに、この春から管理をプロのワンバイワンステイションに替えた。プロと言っても本来はデザイン事務所で、そこの社長だった内田浩二氏(今は息子さんが社長)とは40年来の付き合いがある。そこにそのデザイン力を生かしてもらおうという考えだった。

そしたら、いきなりコロナが猛威を振るい始め、あれよあれよという間にイベントの自粛要請。主催セミナーや勉強会の開催を見合わせざるを得なくなってしまった。そうすると、出版物も人目にさらす機会が減ってしまい、当然売り上げも落ちてしまう。これはなんとかしないと、とZoomアプリによるWebセミナーに一気に舵を切った。Zoomという名称を人づてに聞いたことはあったが、いかなるものなのか一度も使ったことがないままのスタートだった。

それからやっと半年が過ぎ、周りは「これから、これから」「まだまだ」と思っているかもしれないが、私としては「ハードな11月を乗り切りさえすれば」と、スケジュールをこなしながらも「あと少し、あと少し」とカウントダウンしていた。そうして山場は越えたことで「まずはひと息」と勝手にオフにしようとしていたら、周りからの視線は「そうは問屋が卸しませんよ!」と言いたげな、刺すような!

「ひと息つける人はいいよね!」「まだまだやることあるんじゃないの!」。「わかりました、やたら人に書け、書けというだけでなく、私も書きましょう!」。出ました伝家の宝刀、斎藤信次の安請け合い! ということで、またいつまで続くかわかりませんが、まずは書き始めることから始めましょう!

 

華麗なる自己弁護(聞くに堪えない、無駄な言い訳)

科学新聞社(以下、科学さん)のメインストリームから外れ、長く禄を食んできたサラリーマン最後のご褒美、年金を受給しているが、現在も科学さんから顧問という肩書きを頂戴し、額はどうあれ禄を食み続けている。である以上、それに見合う、いやそれ以上のことはしなければならないと思っている。

また長く生きていると、なんやかやとしがらみや忖度しなければならないことが出てきて、科学さん以外にも無給の肩書きをいくつか拝命している。公益財団の理事、一般社団の顧問に監事、民間会社数社の取締役などなど、どれもお引き受けしている以上、こちらもやれるだけのことはしようと思っている。

なので何度も言うが、こう見えても、決して毎日遊んでいるわけではありません、結構忙しいんです! でも、他人様からはそうは見えないんでしょうね、現役時代もっと悲壮感を漂わせて仕事をしとけば良かったなぁー


斎藤 信次(さいとう しんじ)
2016年6月、科学新聞社の代表取締役社長を勇退、顧問に就任今後はこれまでの経験を活かし、同社の出版事業をサポートするかたわら、広く手技療法界全体の活性化を目指し、独自の活動を展開していく予定幅広い人脈を持ち、また人情味にも厚く、業界の良き相談相手であったことから、今後ますますの出番が予想される力強い助っ人

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