「イネイト・インテリジェンスとは何か?」第20回
イネイト・インテリジェンスの甦生(6)

(2)カオス 2-2

 カオスでは、特定の軌道範囲内で予測不能な動きを生じる。その意味では盲目的作動とも言える。しかし、常にある範囲内に収まって安定しているとも言えるわけで、ある範囲内でランダムに見えるが特定の形式化の能力がある。これは換言すれば、「ゆらぎ」があるということでもあろう。

 例えば、水の凍る氷点付近の温度が持続するとき、水が液体になったり氷である固体になったりを繰り返すような現象を起こすことがある。これはカオスであり、初期値によってどこが凍るか、あるいは液体になるかは決定できないが、特定の温度内での繰り返し現象で、ランダムに凍ったり液体になったりを繰り返すため、有界内における非周期軌道とも言える。
こういう状態が「ゆらぎ」であるとも言える。同様に人体内においても、例えば心臓の鼓動は状況によって速くなったり遅くなったりし、拍出力に強弱が生まれる。これも同様に初期値鋭敏性と有界内での非周期軌道、つまり人体が必要とする血液量の変動や精神状態、心筋の運動能力の上限と下限によって、予測不能に変化するであろう。

 また前回述べたように、人体の運動もカオスであると思われる。例えば、歩行時に膝関節の関節面にかかる荷重状態を定式化し数値化した場合、おそらくストレンジ・アトラクターが形成される。つまり同じ軟骨面を、同じ圧力、同じ角度で二度通らないような形で荷重が分散されると考えられる。

 同様に、歩行時における人体の重心点移動を数値化しても、ストレンジ・アトラクターが形成されるであろう。われわれはいかなる単純な運動でも、全く同じ運動状態をトレースすることはないが、様々な変化に対応して同じような運動を継続できる。逆にロボットのように、同じ周期軌道をとる閉じたシステムである場合、外乱に非常に弱く、ちょっとしたことですぐに転倒してしまう。

 また、人体は立位で静止している場合でも、重心は常に揺動している。これも「ゆらぎ」であり、おそらく、この揺動もストレンジ・アトラクターを形成して安定化していると思われる。その場合、このストレンジ・アトラクターの軌道周回が阻害される状況になれば、外部からの変化に対する立位の保持が困難になると考えられ、これは「居つく」などと言われ、合気など武術に応用される技法の一つであろう。
 

 このように、ある関節の動きに微妙な遊びがあり、同じ関節面に荷重がかからないように、特定の範囲内で非周期的な軌道をとる状態が正常であれば、特定の軌道を繰り返して、同じ状態で同じところに荷重がかかり続けるような、周期的軌道をとることは異常である。

 例えば、特定の椎体に荷重がかかり、その重心移動が固着的になった場合、特定の筋に継続的な負荷がかかり、それがある程度のスパンで人体にどのような問題を与えるかは、初期値鋭敏性のためにわからない。その荷重の固着はある程度のスパンでは、脊柱の前面にある交感神経幹にストレスを与え続けるかもしれず、また前述したように、特定の臓器への圧迫の継続になるかもしれない。だが、それにより問題が出るかどうかの予測は確定不能であろう。
 

 カオスにおいては、「自然界の現象には何らかの秩序・法則があり、時間的なスパンに関わりなく同じ条件下では、同じ現象が繰り返され、似たような条件ならば似た結果=近似が生まれるはずだ」という「自然の斉一性原理」が覆される。法則は自然現象の抽象化であり、自然現象を数値化、単純化したものに過ぎない。つまり、法則は自然現象そのものではない。

 カオスも数学的な事象であるので、ローレンツの微分方程式を見てもわかるように、極めて単純化されたものであり、自然現象そのものではない。しかしそれにも関わらず、斉一性原理が当てはまらない。ノイズを取り除いたように見える単純化された数式から、新たなノイズが生み出されているようなものである。

 われわれは科学的視点に毒されて、ランダムな動きの中で特定の周期的な軌道を取り出してしまう。例えば、統計でもデータを点列で示したとき、最も点列が集まっているところで線形のグラフを描いて納得してしまう。

 しかし、カオスはその非線形な点列の中に、変えようもない真の姿があることを示している。つまり、本当に重要なのは、ノイズとして取り除かれてしまう軌道の複雑さにあるのではないか。そこに着目することによってのみ、真なるイネイト・インテリジェンスの数値化ができるのではないかと思う。
 

 カオスをカイロプラクティックの概念として捉えた場合、前述のように、人体において常に負荷が分散するように作動していることが、イネイト・インテリジェンスの本有(先天)的な働きであるとすれば、サブラクセーションとはその作動形式範囲内で、固定的に特定の周期的軌道を取り続けることであり、特定の部分に負荷が継続的、あるいは断続的にかかり続ける状態であると考えられる。

 つまり、レコード針が飛んで同じ部分を再生し続けるような状態であるが、あくまでレコードという有界内での作動となり、プレーヤーシステムは破綻していない。われわれから見れば、これはサブラクセーション状態で異常であるが、システムは破綻せず作動し続けているので、現代医学的には異常がないかもしれない。こういう状態がカイロプラクティックの適応になるのではないかと思われる。

 また、このように有界内で作動する状態が正常だとすると、その作動形式の範囲外に出ることはシステムの破綻を意味し、明白に異常であり、現代医学の治療対象だと考えれば良い。しかし、プレーヤーのトーンアームが多少曲がっていても、カウンターウェイトやアンチスケーティングのアジャストなどで、きちんとレコードが再生できるならばシステム上、不都合はない。

 つまり、現代医学的に構造が損なわれていても、人体全体においてシステムの調和が取れていれば良い。例えば、脊柱において一部の椎体や椎間関節が癒合して可動しなくても、脊柱自体、あるいは人体の運動システムに調和があれば良いということである。こういった意味では、オペしたから治療効果が上がらないというのはおかしな話で、構造変化によるシステム作動の変動を最適化するだけの技術が、そのカイロプラクターにはないということになる。
 

 われわれは構造や機能が先にあって、その結果としてシステムが生まれると考えているが、これは固定的なものではない。自然界においてはシステムの作動によって、構造や機能が日々新たに形づくられていく。その意味では、システムの本質とは作動自体にあって、その本質はシステムの外形に依存するわけではない。

 脊柱全体のシステムの調和的な働きから見れば、いわゆる現代医学的な各椎間関節の正常な可動性は絶対的に必要な部分ではない。実際には、どこかの椎体や椎間関節が癒合していたとしても、脊柱全体の動きにおいて部分と全体がそれぞれ調和し、フラクタルな関係性を持つ、有界内における非周期軌道を正常に形成していれば、問題=サブラクセーションは生じ得ない。これもまた、イネイト・インテリジェンスの働きであろう。
 

 では、なぜそういうことが起きるのかと考えた場合、フラクタルはミクロからマクロまで同じような形状を持つ。これは構造ではなく、システムの作動の結果に過ぎない。一部分に作動ミスや構造異常があったとしても、ある種の震動とも言える細部のフラクタルなシステム作動力が、システム全体に同期的に波及してシステムの作動を取り戻す可能性がある。

 つまり、そこではミクロからマクロに渡るシステム全体における、適正なシンクロ率とハーモニクス(調和)が生じていることになる。これをシステム全体として見ればトーンとなり、システムの作動に着目すればフォースと考えることもできる。

 このとき、システムの作動が偏り、本来のシステム作動に移行できない場合、カイロプラクティックにおけるサブラクセーション状態であると言える。これは、ちょうど心臓が正常な鼓動を続けるのも、細動状態になってしまうのも、同じく安定した状態であることに似ている。その意味では、アジャストメントとは心臓細動時のカウンターショックのようなものであるとも言える。

 細動は心筋の痙攣のようなもので、血液を拍出できなくなるが、このときカウンターショックを行うことで、心筋組織全体を一気に脱分極=電気的に興奮させることにより、細動を停止させる、つまり心筋全体を一気に収縮させることにより、元のリズム=洞調律に復帰させるものである。このとき心臓は自動的に元のリズムを取り戻す。
 

 では、実際のアジャストメントがどのように行われているかを考えると、まずアジャストのためのセットアップで、静止状態の脊柱の揺動を止めることにより、脊柱を一本の棒のようにしてしまう。つまり脊柱のシステムが作動できない状態にする。武術的に言えば「居つかせる」ことである。

 この状態から重みを受けている椎体、つまりはシステム上、固着または偏動している重心に向けて震蘯を加えることで、システムを混乱させる、あるいは誤作動状態をクラッシュさせる。これにより、システム自体(=イネイト・インテリジェンス)が作動を最適化し、再構築を行うと考えることもできる。
 
 なぜそうなるのかと言えば、前述したように、部分と全体が相似的なフラクタルなシステム作動の関係性を持っているわけであるから、結局システムの作動は、本来的な状態に収まる可能性が高いと考えられるわけである。

 また、このときのアジャストメントのフォースの方向性がLine of Drive(LOD)であり、リスティングとして抽象的に仮定されることになる。これは人体を治すのはアジャストメントではなく、イネイト・インテリジェンスであるという、古典的なカイロプラクティックの治療における考え方を補強する。

 このように考えた場合、カイロプラクティックの治療は、構造そのものに介入しているわけではない。また、構造が持つ機能への介入でもない。カイロプラクティック・アジャストメントは、人体が本来持っている外環境に対する柔軟な変動能力を取り戻す、すなわち、自然なカオス状態に立ち戻る手助けをしていることになる。要するに、カイロプラクティックは人体の持つシステムの作動そのものに介入していると言える。

 次回は、現象としての秩序形成について考えてみたい。
 

参考文献
  • ジェイムズ・グリック (著), 大貫 昌子 (翻訳)、1991、カオス―新しい科学をつくる– (新潮文庫)
  • B. マンデルブロ、広中 平祐(監訳)、2011、『フラクタル幾何学 上』、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉
  • 徳永 隆治、1990、「カオスとフラクタル」、合原 一幸(編)『カオス ―カオス理論の基礎と応用』初版、サイエンス社
  • 荒井 迅、2006、「精度保証付き数値計算の力学系への応用について」、『数理解析研究所講究録』
  • 池口 徹・山田 泰司・小室 元政、合原 一幸(編)、2000、『カオス時系列解析の基礎と応用』初版、産業図書
  • アリストテレス 自然学 第6巻 第9章
  • http://illustrator-ok.com/illustrator_koza/digital/contents/digital1.html
  • http://hooktail.sub.jp/welcome/phaseSpace/
  • E. Atlee Jackson、田中 茂・丹羽 敏雄・水谷 正大・森 真(訳)、1994、『非線形力学の展望Ⅰ ―カオスとゆらぎ―』共立出版
  • https://ja.wikipedia.org/wiki/アトラクター
  • https://ja.wikipedia.org/wiki/マンデルブロ集合

木村 功(きむら・いさお)

・カイロプラクティック オフィス グラヴィタ 院長
・柔道整復師
・シオカワスクール オブ カイロプラクティック卒(6期生)
・一般社団法人 日本カイロプラクティック徒手医学会(JSCC) 副会長兼事務局長
・マニュアルメディスン研究会 会員
・カイロプラクティック制度化推進会議 会員

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