岡井健DCのI Love Chiropractic ! 臨床編
第3回「カイロプラクティックの力」
カイロジャーナルの読者の皆さん、お元気ですか? 4月からスタートした月に一度の臨床報告、今回はその第三弾となります。先月のZoomセミナーで、臨床編①と②についてさらに詳しく解説させていただきました。さて今回取り上げるケースは、とても興味深いと思います。
まず、なぜカイロプラクティックが人々の人生を変えるほどの結果を出せるのか、という理由。それは明確なメカニズムだけではとても説明できないものがあります。創生期にはまだ医学的なエビデンスが乏しくて、医師会からは疑問視されていました。D.D.パーマー(以下D.D.)がカイロプラクティックというものの誕生について、まるで神からの授かりもの的な表現をしていることから、宗教じみた要素が強かったことも、当時の医学会から強烈なバッシングを受けた理由の一つでもあったことでしょう。
カイロプラクター自身の多くが、疑問に思いながらも言えないアンタッチャブルなことは、D.D.がハービー・リラードをアジャストしたあとに聴力が回復したという、とても有名なカイロプラクティック誕生のエピソードに関してでしょう。きっと誰もが、一体どのセグメントをどうアジャストしたら、どういうメカニズムで聴力が回復したのかという、はっきりした理論的な説明を知りたいと思ったことがあるはずです。少なくとも私はそう思いました。イネイト・インテリジェンスだけではなく、サイエンティフィックなエビデンスは? と思って自分なりに考えてみたものでした。
バービーの証言を読んでも、Backを傷めて以来17年間、聴力が酷く低下しまっていたのを、2回のアジャストメントで回復したとあります。アメリカでBackと表現したときには、通常は腰をイメージしますが、もちろん胸椎もBackと表現できます。でも頚椎は、どんなに間違ってもBackとは表現しません。D.D.の「最初のアジャストメント」という、当時の有名なイラストがありますが、それはハービーの胸椎のアジャストをしています。このイラスト自体、どれぐらいの信頼性があるのか私にはさっぱりわかりません。
私はロサンゼルス・カイロプラクティック大学(現・南カリフォルニア健康科学大学)という、メディカル・エビデンスを重要視する学校を卒業したので、パーマー大学の学生ほどパーマー家やフィロソフィーについて詳しく学びませんでした。どちらかと言うとアジャストメントによって、体にどんな変化が起こり、どのような結果を生むかという医学的エビデンスを学んだので、いまだにその傾向は強く残っています。だから、どのようにしてD.D.がハービーの聴力を回復させたかは理解できないので、考えないようにしてきました。
大学を卒業して、業界の第一線で30年以上多くの患者を臨床してきて思うのは、今でもエビデンスベースで考えるのが好きなものの、それだけでは説明できないのが人間の体であり、カイロプラクティックであるということです。今回はそんな私が出会った聴覚ではないですが、嗅覚が回復したケースを2件お伝えしたいと思います。最初のケースは、何度もいろいろなところで話をしてきた10数年前に診たケースです。もう一つは先週出会ったばかりのケースです。
最初のケースは60代のイタリア系アメリカ人の男性です。30代のときに自動車事故で、顔面をフロントガラスにぶつけて鼻骨を骨折したそうです。私が初めてこの男性患者を治療したときに、既に事故から30年ほどが経っていましたし、患者自身も事故の影響もあるでしょうが、とにかく首が痛いという理由で来院されました。
レントゲンを撮影したところ、通常の年齢的な頚椎の椎間板や椎骨の変性、プラスC5-C6での強めの変性が確認できました。これもムチ打ち症や慢性的な首の問題などあれば、それほど珍しいものではありません。通常通りの起立筋をはじめとした僧帽筋などの頚椎周りの筋肉の緊張を緩和させる物理療法やストレッチを、アジャストメントとともに施術していきました。
数回治療したあとに、「実は大事な話がある」と言われ、何か問題があったのかと思いながら治療室に入ると、患者が涙ながらに「30年ぶりにワイフの作ったミートソースの匂いがわかって、とても美味しい食事ができました。ありがとう」と感謝されたのです。私は彼が嗅覚を失っていたことも、問診で言ってくれなかったので知りませんでした。彼は、事故で鼻を強くぶつけたことで嗅覚を失ったと思っていたし、主治医もそうではないかと説明していたようです。ずいぶん昔に、ちょっとカイロプラクターのところに通っていたそうですが、私のように本格的なアジャストメントをするカイロプラクターは初めてだったのです。
すなわち、酷いムチ打ち症によって嗅覚が失われていたのが、頚椎のアジャストを数回しっかり行った結果、30年ぶりに嗅覚が回復したということです。私はC2,C5,C6を普段通りにアジャストしただけでしたし、嗅覚がなかったことも知りませんでしたから。嗅覚を司るのは第1脳神経である嗅神経で、脳幹から分岐しないタイプのもので、匂いの受容器の嗅細胞は鼻腔にあります。でも私は、この患者にクレニアルの治療はしていませんでした。回復のメカニズムが知りたくていろいろ考えてみましたが、はっきりと説明できる答えが見つからず、頚椎をアジャストしたら30年ぶりに嗅覚が戻ったという事実だけが残りました。
次の、先週出会ったばかりのもう1件のケースは、記憶もまだ新鮮です。ハワイアンの30代前半の大柄な女性です。彼女の母親、お姉さん、お兄さん、姪御さんたちは、既に私の患者で、気が向いたときに治療の予約が入る家族です。しかし、私のことをとても気に入ってくれて、知り合いをよく紹介してくれます。
この患者は、何度もお姉さんから私のところに行くように勧められていたのですが、以前診てもらっていたカイロプラクターが結構手荒なアジャストをして、タオルで頚椎を勢いよく引っ張るようなこともしていたそうです。彼女はとても憤慨したことを、身振り手振りを交えながら説明してくれました。カイロプラクターに行くことを渋っていたものの、お姉さんから私は信頼できると何度も聞かされて、重い腰を上げてここ数か月間痛む腰痛の治療に来たのです。
私が「荒くはないけど、しっかりと背骨をアジャストしますが大丈夫ですか? 無理ならモービリゼーションもできますよ」と説明すると、ドクターのことは皆から聞いて信用しているから大丈夫だということでした。それから過去の病歴などを問診すると、高校卒業を間近に控えていたときに、飲酒運転の車に追突された事故の話になりました。
事故により、彼女はフロントガラスに顔面を強打し、前頭骨を骨折、眼球が押し出された状態になったとのことでした。彼女の言葉をもっと的確に直訳すると「おでこの骨がかち割れて、脳ミソと目ん玉が飛び出していたと、あとで医者に聞いた」ということでした。彼女は2か月間も意識不明状態で奇跡的に生還したそうです。
彼女の額には傷と小さな陥没が残っていました。主訴は腰痛でしたが、首も痛いし肩こりも酷いという状況でした。さらに私の興味を引いたのは、最初のケース同様に顔面をフロントガラスに強打して以来、嗅覚を失くしているという点でした。違いは、最初のケースは鼻骨を骨折していましたが、このケースでは前頭骨の骨折でした。
彼女の首を触診すると、筋肉の張りはもちろんですが、あまりにもはっきりとした大きなサブラクセイションが、C2とC5を中心に2か所感じられました。「これを10年以上放置してきたのか!」と、良いカイロプラクターに出会えなかった彼女を不憫に思いました。
前頭骨を骨折して陥没が残っているからには、副鼻腔の前頭洞と、もしかしたら蝶形骨洞に影響を与えているかもしれない、ということは容易に想像できました。これも嗅覚に影響を与えているのかもしれません。
彼女に簡単に所見と今日行う治療の流れを説明して、物理療法で首から腰までの筋肉のスパズムを緩めていきました。筋肉の緊張を緩めたお陰で、アジャストする前に既に首のサブラクセイションは、術前ほどには目立たなくなっていました。頚椎のアジャストを軽く行うと、大きな音がして私の指先の上で綺麗に椎骨が動きました。
彼女は大きな音に、また目玉が飛び出さんばかりに驚いていましたが笑顔でした。「痛くないでしょ?」と聞くと「全く痛くない。オーマイガーッド!」と喜んでいました。そして、私が副鼻腔の圧力をリリースすると「ペパーミントの匂いがする!」と何回も言いました。私の手に付着していた、筋肉を緩めるためのジェルのペパーミントの匂いがわかるようになったのです。
彼女の場合は、頚椎のアジャストメントの効果か、副鼻腔のリリースの効果か、それとも両方の相乗効果かわかりません。帰るまで 何度も息がしやすい、匂いがすると言っていたので、副鼻腔の通りが良くなったのは確かだと思います。
数時間後にファーストコールをして治療後の様子を聞くと、「最高に気持ちが良くて体も軽いし腰も痛くない、息もできるし匂いも少しわかる」と喜んでいました。またすぐに治療に来るように伝えると、もちろんすぐ行くと言っていましたが、またお姉さんの気が向いたときに一緒に来ることになるでしょう。
私にとってエビデンスは絶対に大事だし、なぜ、どうして、アジャストメントが体に変化を与えているかのメカニズムを理解することも大事です。だけど説明がつかない部分でも、とても大きな力がカイロプラクティックのアジャストメントにはあることも確かです。私が30年以上この手で行ってきてそう確信しています。そして、質が高いアジャストメントこそが違いを生むと感じています。そのためにもこれから日々努力して自分の技を高めていきたいと、そう思うのです。
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岡井健(おかい たけし)DC
福岡西陵高校を卒業後、1984年単身アメリカ、ボストンに語学留学。その後、マサチューセッツ州立大学在学中にカイロプラクティックに出会い、ロサンジェルス・カレッジ・オブ・カイロプラクティック(LACC)に入学、1991年に同校をストレートで卒業する。
1992年、カリフォルニア州開業試験を優等で合格。1991年から1995年まで、カリフォルニア州ガーデナの上村DC(パーマー大学出身)のクリニックで、アソシエート・ドクターとして勤務した後、サンフランシスコ空港近郊のサンマテオにて開業。2001年にはシリコンバレーの中心地、サンノゼにもクリニックを開業し、サンフランシスコ・ラジオ毎日での健康相談や地方紙でのコラム連載でも活躍。
また、積極的に留学中の学生たちの面倒を見、その学生たちの帰国を皮切りに日本での活動を始める。科学新聞社(斎藤)との縁は、2005年に出版した「チキンスープ・シリーズ カイロプラクティックのこころ」の監訳に始まり、以降15年以上にわたって出版物、マイプラクティス・セミナ、カイロ-ジャーナル記念イベントなど、またカイロプラクティック・クラブとして「ソウルナイト」(スタート時はフィロソフィーナイト)など、ありとあらゆる場面で協力関係にある。
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