斎藤信次残日録 其の五十三
今まで以上にやることが多そう!
強烈な年末年始の休みが明け、6日にちょっと懐かしさを感じながら席に着いたと思ったら、もう1月も終わろうとしている。年齢のせいもあるだろうが、あっという間に時が過ぎていく。そんな今月を振り返ってみたら、25日に休むまで1日も休みがなかった。恨み言を言っているのではない。年末年始に「もう結構」と言うほど休んだので、かえって心地いいぐらいの感じだった。
平日はもちろん出社、電話、メール、LINE、来客。外勤もあった。そうして休日、12日は今年最初の対面セミナー、「丸山ゼミ」だった。今年から丸山のメンターである増田裕氏が、20数年前に当社で行っていた「増田ゼミ」にあやかって講座名を改称した。丸山も今まで以上に力が入ると思う。
13日は一昨年「B.J.クリニック」で初めて仕事をご一緒させていただいた、賀来史同氏の東京の新オフィスにお邪魔した。賀来氏とは、お互い何十年もこの業界にいながら、なぜ仕事をする機会がなかったのかと言うと、遡ること30数年前、エンタプライズという出版社に、ガラナの匂いをさせながら日に数十本の煙草を吸い、酒もガンガン飲む、もちろん仕事もバリバリする、牧原弘幸という猛者がいた。そんな彼と、お互いのシマウチ(縄張り)は荒らさないという、やくざまがいの不可侵条約が成り立っていて、それで直接のアプローチは遠慮していた。
牧原君の名前が出てきたので、ちょっと脱線してエピソードを一つ。ある日、彼と二人で深夜まで飲んでいた。そしたらいきなり、「明日、健康診断なんですよね!」と言ってきた。「えーっ」となったが、お開きになることはなかった。そうして後日、また会う機会があったので「どうだった」と聞くと、「中性脂肪が2000でした」と信じられない数字を口にした。「200でも多いのに、嘘だろ!」と言うと、「その後、精密検査を受けたんですけど、それでも800ありました」と言う。呆れて言葉がなかった。そして彼の名前が出たら、もう一人忘れてならないのが医道の日本社の森田正明氏である。彼がまた、牧原君に負けず劣らずの剛の者で、3人の所属する会社がライバル関係にありながら、この3社に著書を持つ(一昨年亡くなられた)加瀬建造氏の音頭で、よぉーく飲み歩いた。そのときのエピソードは数知れずだ。今は加瀬さんも牧原君もいない。森田さんとも一別以来会えていない。寂しさも感じるが、古き良き時代の思い出として大事に取っておきたい。
賀来氏は昨年5月から東京のオフィスを移転していたが、長野と東京を行き来する忙しい生活で、なかなかお邪魔する機会がなく、やっと新年の挨拶がてら伺うことができた。11時から3時間、奥様を交え同世代の3人で尽きることのない会話に没頭した。あっという間に過ぎた時間で、あと1時間でも2時間でも、という感じだったが、長野に建設中のミュージアムも併設予定のご自宅に、「完成したら必ずお邪魔します」と約束しておいとました。しかし、賀来さんをはじめ、塩川さんにしろ、中川さんにしろ、仕事の話はそこそこに、いくらでも話が続く。会話のネタに困ることがない。皆さん私より数年先輩の方々、正に冥利に尽きる思いだ。
18日、19日は、当社の出版物、DVD、セミナーでお馴染みのケリー・ダンブロジオをして、「ハーイ、カントリーボーイ」とすぐに親しみを込めて呼ばれた、青森の小野永一君の「小野塾」だった。4つ年下の彼と初めて会ったのは、お互い20代の頃だったと記憶しているので、40年以上になる。その頃からずっと見てきた私からすると、「永ちゃん先生」と呼ばれ、治療関係だけでなく様々なセミナーやイベントに参加し、方々に出かけ治療会をしている姿は、「へぇー」と不思議な感じもするが、そうなるためにはそれ相応の努力をしたのだろう。だが、ひと言だけ言わせてもらう。「LOVE AOMORIやら言ってるんだから、方々に行くのもいい加減にして、もう少し地元にいなよ! 年齢も年齢なんだから」。
26日は東京の東の外れ江戸川から、西の外れ西八王子まで足を延ばし、AOJ(アトラスオーソゴナル・ジャパン)代表、Hiroこと井上裕之氏の自宅で行われている育成講座に顔を出した。その後の新年会では、ちゃっかりご馳走になって、また東の外れまで帰ったわけだが、西八から東京まで、なんと中央線が期間限定で走らせている無料のグリーン車に乗ることができた。距離もたっぷり、悠々としたものだった。実は行きのときも、東京駅でチラッとグリーン車付近のホームを覗いたのだが、前後の車両まで降りたらすぐ座ろうという人たちの群れで、「こりゃダメだ」と通常の車両に座り、それはそれはのんびりした1時間を過ごした。しかし、どうして新幹線と違い、こうも長く感じるのだろう。停車する駅の数か、いや特快でもやはり長く感じる。要はそれだけ遠いということか?
平日に戻って27日の夕方には、昨年のクリスマス以来、大陰君がケアしに来てくれた。本当にありがたいが、そのあとのお定まりの飲み食いには少々覚悟が要る。この日は食べて飲んで締めて2万数千円、覚悟通りの見事な数字だ。ちょっとやそっとでは驚かなくなっていたが、いくらなんでもやり過ぎたかな? でも、食べて飲んでだけではなく話してが、それ以上に楽しい。大陰君、来月もよろしく! 覚悟して待ってるからねぇー
28日の夜は草加の古谷施術院の古谷真人氏、勝俣啓介氏のところへ。増産中の「バックキック・チューブ」と「PMテープ」の、今後の販売について打ち合わせに行ってきた。もちろん料理屋さんでの打ち合わせなのだが、前日とは違う見事さで、体育会系二人のかたや注文、こなた食べっぷりで、その様子たるや最近噂のフジではない局の「あっぱれ」を差し上げたい。だが、かく言う私も連チャンで食べて飲んでで、翌朝が痛風発症から二十数年来の隔月の検診日だったので、少々気にかけながらだったが取り立てて指摘は受けずに済んだ。それでも最後に、「お酒は控えてね」という毎回のお言葉だけはきっちり頂戴した。「はーい」。
丸山と辻本のWebセミナーはいつも通り。中川氏の「脊柱モーション・パルペーション」の集大成版も、徐々に姿が見えてきた。氏の喜寿の誕生日が2月2日なのだが、まだ優に1年あるとは言え、喜寿の間のできるだけ早い時期に完成させたいと思っている、願っている。岡井氏とのビデオチャットもルーティン化し、毎週行うようになっている。岡井夫婦が春に生まれる予定の初孫の顔を見に来ると言うので、この機会にと6月1日に1日セミナーになるが、カイロプラクティック・エリートを育成するための「エリートセミナー」の開催を決めた。秋には恒例の「マイプラクティス」、昨年に続く「TIME&SPACE」も、狙っている会場の抽選会次第だが、すべてやるつもりで計画を立てていく。今年もこれまで以上にやることがたくさんありそうだ!
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