岡井健DCのI Love Chiropractic ! 臨床編
第2回「首の寝違えのアジャスト」
カイロジャーナルの読者の皆さん、お元気でしょうか? 先月からスタートした月に一度の臨床報告の投稿となります。
今回取り上げたケースは、カイロプラクターなら誰しも出会うケース、と言って差し支えないと思います。私も数えきれないぐらいの首の寝違えのケースを診てきました。まだ駆け出しの頃は、単純な寝違えさえ上手く対応できてなくて、かえって患者さんに痛い思いをさせてしまったこともありました。苦い経験を通して、より快適で効果的な治療ができるようになりました。寝違えの患者さんを、自信を持って対応できることは、カイロプラクターにとっては大切なことかもしれませんね。なぜなら、ほとんどの寝違えの首には、はっきりとしたサブラクセイションが存在しているからです。
最初にお伝えしたいのは、Acute(急性)の場合とSubacute(亜急性)の場合では当然ながら対応が違うということです。今回は急性をメインに話を進めていきます。皆さんのオフィスにも、映画「レインマン」のダスティン・ホフマンのような、首が曲ったままの患者が現れたことがあると思います。また、自分自身が急性の首の寝違えを経験したという読者も多いことでしょう。まず問診で、いつ痛みが発症したかを確認することが大切です。発症後、数時間しか経っていない場合は、まだこれから悪化する可能性もあるので、それを考慮に入れて対処しなければなりませんし、悪化の可能性を患者に伝えておく必要もあります。
思い当たる原因を問診で聞くのは当然ですが、多くの場合は「起きたら首が動かなくなっていた」とか「朝、首を動かしたら、ギクッとなって動かなくなった」というようなことが多いですね。発症前から既に首に何かしら問題を抱えている人の方が、寝違えを起こす可能性は圧倒的に多いし、寝違えがあたかも事故であるかのように軽く考えている患者も多いので、そこを患者に伝えることも重要です。
発症から半日以内なら、時間的にまだ悪化している途中である可能性もあることを伝え、即座にアイシングを開始します。なんなら、アイシングをしながら問診を続けます。アイシングは霜焼けにならない範囲で、できるだけ冷たく冷やします。私はアイスパックと患者の皮膚の間に、キッチンペーパーを1枚挟むだけで、アイスパックを首に強く押し当てるために、アイスパックの上からタオルで巻いて圧迫します。アイシングは10分から15分間で短めに行います。アイシングの時間は20分過ぎぐらいから、ハンティング反応が出て、逆に患部に血液を送り込んでしまう可能性があるので、10-15分間程度に区切ってアイシングします。一旦アイスパックを外したら、次のアイシングまで30-45分は時間をおきます。
問診で急性の寝違えだとわかったら、どの筋肉がスパズムを起こしているかを触診しで確認します。可動域が制限されているのはわかっていますので、無理に痛い首を動かすことは禁物です。Orthopedic Test(整形外科的検査)も、やらなくとも陽性であるとわかるものは、やる必要はありません。学校の授業で学ぶプロトコールと実際の現場では、少し違います。
痛みが強いサイドに筋肉のスパズムがあり、その筋肉が引っ張られる方向に首を動かせば激痛が走ります。関節包や椎間板の腫れも予想できますが、問診で腕の痺れなどが出ていなければ、椎間板の腫れがあっても、それほど大きなものではない可能性が高いでしょう。あくまで可能性の話ですので、読者の中には、より危険な問題をはらんでいる可能性があるじゃないか、と考える方もいるでしょう。そう思う方は直ぐに患者を救急病院に送ってください。私はこれまでの経験で、ほとんどの寝違えのケースを問診から危険性の度合いを判断することができます。もちろん、これはなんか変だぞ、と感じたら間違いなく救急に送りますが、今回はあくまでも寝違えのケースで話をします。
発症半日以内の急性のケースでは、私はアイシングをしながら同時に、低周波治療で筋肉のスパズムの緩和を行います。物理療法をされない方には、アイシングを終えたら頚椎の触診をしますが、あまり首を動かさずに触れるだけのような触診で、十分サブラクセイションがわかるはずです。寝違えの場合は、かなりはっきりと関節がロックされているので、触ればすぐわかります。もし自分にはその自信がないという程度の触診力の方は、きっとアジャストメント力もそれほどレベルが高くないと思いますので、アジャストはせずにアイシングだけにしてください。その方が効果的です。
さて、いよいよ今回のテーマでもある寝違えの首へのアジャストメントについて解説していきます。急性の寝違えでは、まさにHigh Velocity(高速)でLow Amplitude(低振幅)、HVLAのアジャストメントが必要となります。そしてセットアップでは、首の回旋や伸展は筋肉のスパズムや痛みのためにできないので、最小限の回旋と側屈のみでテンションを取ります。そのようにテンションを取ることやHVLAのソラストができない方は、アジャストメントはせずにアイシングだけにしてください。
十分な技術がある方は、アジャストする部位は1か所だけで、痛みが強くスバズムを起こしているサイドからのソラストのみになります。つまり首の左側に痛みがあり、そこがスパズムを起こして痛いのなら、そのスバズムを起こしているところにコンタクトしてアジャストするということです。反対側からソラストすれば、スパズムを起こしている筋肉を急激に引き伸ばすことになるので、激痛が走りますし、スパズムを悪化させてしまいます。急性の段階では、絶対にやらないでください。二度とその患者は、あなたのところに戻ってくることはないでしょう。
私は患者を仰臥位でポジショニングさせ、サービカル・ロールという円柱状の柔らかい枕で患者の頭を支え、リラックスしてもらいます。例えアジャストメントに慣れている患者でも、激しい痛みを感じているときは、簡単にはリラックスできません。その気持ちや恐怖感をしっかり理解した上で、患者に「アジャストするポジションに持っていくから、もしそこで無理そうだったらアジャストしないので教えてくださいね。でも、たぶん大丈夫だと思いますよ」と声をかけて安心させます。
スパズムを起こしている筋肉は硬く硬直してはいますが、逆に力は入りにくいものです。優しくソフトなタッチでコンタクトして、必要最低限の僅かな回旋と側屈でテンションを取ったら、患者に「ここからこういう風に押しますけど、大丈夫そうですか?」声をかけます。患者が承諾したら、迷わずコンタクトハンドから感じ取るLODに向かって、High VelocityかつLow Amplitudeで素早く正確なソラストをします。サポートハンドもソラストに合わせて首が必要以上に動かないように、タイミングを合わせてしっかりと使い首と頭を固定します。筋肉のスパズムで患者に力が入らない分、抵抗もできないのでアジャストメントは意外とスムーズに行えることが多いです。
サブラクセイションを早目にアジャストして、関節を開放してあげれば、回復のスピードも確実に速くなります。しかし、大切なことは患者の気持ちや体の反応に気を配り、優しく接しながら対処法を判断していくことです。回復が数日遅れても、無理なく炎症を軽減させてからアジャストすることがいい場合だってあります。特に患者の状態や施術する私たちの技量が、早期のアジャストメントに適していなければ、アジャストメントはその時点ではベストのオプションとは言えません。
自分の技量が足りていないのに無理をする必要はありません。それで悔しいと思うのなら、その思いをバネにして、さらに自分の技術を磨く努力をすればいいのです。1日も早く寝違えで首が動かせない患者の首も、自信を持ってアジャストできるようになるぞ! という強い気持ちが、その人を一つ上のレベルのカイロプラクターへと引き上げてくれるのです。少なくとも、私はいつもそうやって悔しい気持ちをバネに頑張ってきたし、これからもその姿勢は変わらないと思います。
最後に、とても大事な患者へ伝える施術後のインストラクションについて、触れておきたいと思います。まずは、その日は急性段階なので、炎症が進む可能性は否めないことを説明し、アイシングの方法をきっちりと伝え、その日は毎時間に1回実行してもらいます。水分補給と休息も重要です。必要ならイブプロフェンの服用を薦めます。アイスパックを持っていない患者には、私が患者に無料で配っているアイスパックを差し上げます。翌日か、遅くとも2日後には再度治療に来てもらいます。さらに、その日の仕事終わりにその患者さんに電話を入れて、現在の状態やインストラクション通りにアイシングや水分補給ができているか確認するのです。
さあ、どうでしょう? 皆さんの診療の参考になったでしょうか? 質問などある方は、私のZoomセミナーなどで受け付けますので、ぜひ参加して気軽に聞いてくださいね。
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岡井健(おかい たけし)DC
福岡西陵高校を卒業後、1984年単身アメリカ、ボストンに語学留学。その後、マサチューセッツ州立大学在学中にカイロプラクティックに出会い、ロサンジェルス・カレッジ・オブ・カイロプラクティック(LACC)に入学、1991年に同校をストレートで卒業する。
1992年、カリフォルニア州開業試験を優等で合格。1991年から1995年まで、カリフォルニア州ガーデナの上村DC(パーマー大学出身)のクリニックで、アソシエート・ドクターとして勤務した後、サンフランシスコ空港近郊のサンマテオにて開業。2001年にはシリコンバレーの中心地、サンノゼにもクリニックを開業し、サンフランシスコ・ラジオ毎日での健康相談や地方紙でのコラム連載でも活躍。
また、積極的に留学中の学生たちの面倒を見、その学生たちの帰国を皮切りに日本での活動を始める。科学新聞社(斎藤)との縁は、2005年に出版した「チキンスープ・シリーズ カイロプラクティックのこころ」の監訳に始まり、以降15年以上にわたって出版物、マイプラクティス・セミナ、カイロ-ジャーナル記念イベントなど、またカイロプラクティック・クラブとして「ソウルナイト」(スタート時はフィロソフィーナイト)など、ありとあらゆる場面で協力関係にある。
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