「イネイト・インテリジェンスとは何か?」第22回
イネイト・インテリジェンスの甦生(8)

(3)散逸構造2 マックスウェルの悪魔

 前回述べたように、エントロピーは熱力学的には偏っていた熱が、だんだんと広がり均一化する度合いであり、統計力学的にはある場所に集まっていた粒子が、その場所にとどまらず、乱雑に拡散していく方が確率的に高いことを言う。この熱力学と統計力学は、ボルツマンの原理と等重率の原理によって結び付けられる。
 

 ボルツマンの原理とは、1877年にオーストリアの物理学者、ルートヴィッヒ・エードゥアルト・ボルツマンによって提唱された、統計力学における系の微視的な状態の数から、巨視的な熱力学エントロピーを導く関係式である。

 この関係式は、E=mc² なみにエレガントな = log ()と表される。S = エントロピー、 = ボルツマン定数、 = 状態数、log = 対数である。この式は、1900年に量子論のプランク定数で有名なマックス・プランクによって書き直され、この形になった。

 熱いものが冷えていく不可逆な断熱過程においては、エントロピーが増大する。特に自由膨張のような不可逆な変化は、系が微視的に取り得る状態を増やす。これはエントロピーが状態数の増加関数であることを示唆している。エントロピーが状態数の関数として表されるならば、状態数の対数に比例する。

 ボルツマン定数とは、気体の運動エネルギーが温度によって、どのように変化するかを表す値で、微視的状態の一定場において、高温の分子は速く動き、低温の分子は遅く動くが、両者が衝突すると互いの運動エネルギーをやりとりするので、速度の差が小さくなる。これを非常に多く繰り返すと、最終的にその場の分子全体の速度が均一になり、結果的にその場の温度が均一になる。この関係式は、これらのことから導き出された方程式である。これにより、単なる一般概念であったエントロピーは数値化され、実際的な物理量となった。

 しかしながら、1800年代後半から1900年代においては、原子論は科学界において完全に受け入れられておらず、ボルツマンはマッハやオストワルトなどの、原子の存在を否定する科学者たちと対立し、激論を繰り広げていたせいか、晩年は躁鬱病になり、アドリア海に面した保養地ドゥイーノで静養中に自殺してしまった。
 

 等重率の原理とは等確率の原理とも言い、孤立した平衡系において、許される系の状態は、どれも等しい確率で現れるとする作業仮説である。熱力学的なマクロな状態を一つに定めたとしても、それに対応するミクロな状態は無数にある。平たく言えば、ビーカーの中で沸騰した水の分子状態は無数にあるが、その無数の状態は等しく同じ確率で存在すると仮定したもので、典型的状態を基準にすれば無数に計算しなくてもよくなる。そういう荒い仮定をしても、外部からの影響で変化しない平衡系であれば、矛盾は生じない。

 このように、熱力学における系のマクロな状態の、物理量の推移を表す概念として生まれたエントロピーは、それのミクロな状態をみるために、統計力学が導入されたことにより、数値化され得る物理量となった。その結果、系から得られる情報量は、ミクロな状態での確率変数が多くなるほど増えていくため、情報量の乱雑さは確率変数の乱雑さと整合性があり、エントロピーは情報理論にも適用されるようになった。
 

 エントロピーとは、熱力学、統計力学、情報理論のどれであろうと無秩序化する状態、つまり拡散する状態が元の状態には戻らないことを表わす量である。言わば、すべてが平坦化していくような状態を物理量として示している。

 このように元の戻ることがない状態を「不可逆」と言う。「不可逆性」は、マクロなレベルでの物理的過程における、時間の 「一方向性」または「非対称性」を表す「時間の矢」と同義で、生滅は常に決定的であり、覆水は盆に返らず、未来から過去に戻ることはない。「時間の矢」は、1927年に英国の天文学者、アーサー・エディントンが提唱した概念である。

 一般に、ミクロレベルでの運動を記述する方程式のほとんど、例えばニュートンの運動方程式、マクスウェル方程式、シュレーディンガー方程式などは、時間反転対称な微分方程式であり、時間を逆に進めても理論的記述は成立する。

 しかし、マクロなレベルでは話が異なる。この不可逆性により、宇宙が一定の大きさで閉じた空間であるとした場合、無限とも言える時間の果てでは、すべてのエネルギーを放散し切って、最終的に完全に均一な何の変化もないエントロピー最大の状態、言ってみれば、すべての法則性が断滅してしまう状態になると考えられた。これを「熱的死」と言う。

 このとき、「時間の矢」も停止し、時間自体が消滅すると思われる。つまり「時間の不可逆性」とエントロピーの増大は同じものとも言える。

 ただし、無限の膨張するインフレーション宇宙論では、一つの考えとして、その始まりは古典物理学における絶対真空、つまり、物質が存在せず、圧力が 0 の熱的死のような何も無い状態から、 何らかの場のゆらぎが生じ、相転移して、超高温、超高密度のエントロピーが非常に低い状態となり、ビックバンを起こすことで一気に膨張していったというような感じである。最終的には、膨張し続けて冷えていくに従って生じる熱的死か、膨張により実際のエントロピーの量よりも、宇宙の最大エントロピーの増加速度が勝っていれば、膨張加速上昇によって、宇宙のすべての構造がバラバラになってしまう、ビッグリップが生じると考えられている。

 もちろん他にも様々な考え方があるが、暗黒物質や暗黒エネルギーなど、観測不能なわけのわからないものも多く、いずれにしろ仮説でしかない。
 

 因みに2013年3月に欧州宇宙機関(ESA)が、プランク衛星宇宙望遠鏡の観測結果に基づいて算出した、宇宙における質量とエネルギーの占める割合は、重力を持つが見えない暗黒物質が26.8%、重力に逆らって宇宙を加速膨張させる暗黒エネルギーが68.3%、それ以外の原子等の通常の物質が4.9%と発表した。

 つまり、われわれは宇宙の5%しか見ることができないにも関わらず、宇宙が何かを知ろうとしている。まさに「群盲、象を撫でるが如し」であろう。

 カイロプラクティックで言う、ユニバーサル・インテリジェンスの持つフォースというものも、暗黒エネルギーのように存在は仮定できるが、結局、実態はよくわからないというような感じのものと言えるのかもしれない。ちょうど、カントの言う「物自体」のようなものなのかもしれない。
 

 さて、このエントロピーが統計力学や情報理論と深く関係するようになったのは、結局「マックスウェルの悪魔」によるところが大きい。「マックスウェルの悪魔」は、1867年頃にスコットランドの物理学者、ジェームズ・クラーク・マクスウェルが提示し、物理学者ウィリアム・トムソンにより命名された。

 これは一つの思考実験で、外部からの影響がなく、ある程度、温度が均一になった断熱系の空間内に、完全断熱の仕切りと小さな扉を作り、空間内で速く動く分子だけを一方の空間に移し、遅く動く分子は他方の空間に移すように悪魔が扉を開け閉めすれば、片方の空間の温度は上がり、片方は下がる状態が作り出せる。

 このとき、悪魔が観測と扉の開け閉めにエネルギーを全く使わないと仮定すると、この単純な操作だけで増大したエントロピーを時間経過に伴い、可逆的に減少させうることができる。つまり、エントロピー増大則を否定できる。

 これはまた、「時間の矢」の否定につながる。例えば、カップに仕切りを作り、片方にコーヒー、片方にミルクを入れて仕切りを取り去れば、カフェオレができる。このカフェオレに、また仕切りを作って上記のように悪魔がコーヒーの分子とミルクの分子を判別して移動させてしまうと、元のコーヒーとミルクの状態となり、覆水が盆に返ってしまう。つまり、時間を逆行させることができる。これはビルを爆破して解体する映像を、逆再生するようなものである。

 「マクスウェルの悪魔」の振る舞いは、巨視的な熱力学が分子や原子などの微視的スケールにおける、統計力学の結果であることを利用することにより、悪魔の能力である、すべての分子を個別に確定する情報と分子速度を見分ける知能を用い、扉を操作することによって、エントロピーを減少させる。対象の状態すべてを知っていれば、対象の状態が乱雑であっても情報として秩序化されており、情報エントロピーは低く、それを熱力学的なエントロピーに結び付けている。

 しかしながら、もし悪魔が分子情報すべてを同時に記憶解釈できないとすると、既に移動した分子についての情報を保持することは無意味なので、その情報を消去する必要がある。

 この情報の消去に、熱の放出が必要であるとしたのが、1961年にIBMのロルフ・ランダウアーによって提示された「ランダウアーの原理」または「フォン・ノイマン=ランダウアーの限界」である。この熱の放出により、エントロピーが増大すると言う。

 悪魔がある時点のすべての分子運動を記憶し、その中の一つの分子を一方の部屋に移したとき、移動した分子が元の状態に戻ることはない、という物理的不可逆性を持つので、それに対応した論理的状態もまた不可逆性を持つ。要するに、既に存在しなくなった物理状態に対応する論理状態を維持することは無意味である。

 この無意味な論理状態を消去するために、エネルギーの放出が必要であることを証明したのが「ランダウアーの原理」である。これを単純化した実験モデルに、シラードのエンジンというものがある。

 普通に考えれば、悪魔が分子状態を観測して情報を得ること自体で、わずかにエネルギーが消費され、全体の収支としてはエントロピー増大しているとするであろうが、ミクロレベルの観測過程を、量子論における収縮を伴う量子状態の観測とみなすと、悪魔と分子の位置の相関は重ね合わせとなり、EPR相関に対応して観測により波束の収縮が起こり、観測自体が状態を決定してしまう。この場合、観測対象の状態と観測結果は同一時間点で現れてしまうので、情報の取得にエネルギーは必要とされない。

 しかし、観測結果を取得すると取得をしているものに容量の限界があれば、容量以上の取得はできなくなるので消去しなければならない。既に作業を終えた観測結果は無意味であるので、これを消去していくとすると、この消去にエネルギーが使われることになり、熱が放出されエントロピーが増大するとされる。

 これにより、悪魔が記憶を消去する際に、熱力学におけるエントロピーが増加することになるため、「マックスウェルの悪魔」は討伐されたかにみえた。しかし、これは情報処理過程が、論理的に非可逆な場合のみに存在するものである。

 情報の消去することは、元に戻せない演算、いわゆる非可換な計算をすることであるが、本来、演算そのものは、言わば一つの約束事のようなもので、可逆的に行うことができる。この場合、エネルギーを消費する必要はない。

 無限に記憶できるか、すべてが重ね合わせで時間反転対称な、量子計算のような可逆計算のみであれば、原理的に熱力学的にも可逆なものにすることができるため、情報の消去がない場合にはこうした限界は存在しない。また、情報が消去されるにしても、消去されない間はエントロピーは増大しない。

 2019年にゴーディ・レソビク博士らが、量子コンピュータで生物の進化プログラムを計算しているとき、乱雑になっていた量子ビットの状態から、秩序ある状態に逆戻りする現象が観測された。これはエントロピー増大則がやぶれ、「マクスウェルの悪魔」が復活し、時間が逆転したことを意味していると言う科学者もいる。

 また、PCメモリ上の意図的な情報の消去と、脳内の意図しない忘却が同じであるのかは不明である。思うに、忘却の場合、情報は消去されていないが、取り出せないだけとも考えられる。そうすると、意図的な情報の消去と同じように、情報の格納や意図的な抽出はエネルギーを必要とするかもしれない。

 「マックスウェルの悪魔」は、不確定性原理やカオスで滅ぼされた未来予測の「ラプラスの悪魔」よりずっと長生きで、未だに完全に息の根を止められていない。現在でも様々な異論が生まれ、多くの見解が報告・提示されている。
 

 前述のシステム論のところで、「システム内の情報は目に見えないわけであるから、これを生気と考えることもできるかもしれない」と書いたが、「ランダウアーの原理」により、情報は生気と同様に、実在性のない物理の対象外のものではなく、情報自体に熱を発生させるような物理的な側面があり、物質の振る舞いとも言えるエントロピーと深く結び付いていることが示されたことになる。

 換言すれば、エントロピーを増大させるも減少させるも、情報の取り扱い方一つではないかとも思える。

 カイロプラクティックに、患者の問題を取り除いて元に戻す能力があるとすれば、完全ではないが「マックスウェルの悪魔」のように時間を逆行させ、エントロピーを減少させることができるとも考えられる。

 つまりは、増大したエントロピーを減少させることができる、エントロピーの逆転現象が生じる。換言すれば、負のエントロピーが生成されるわけであるが、これはアジャストメントによってではなく、イネイト・インテリジェンスによって行われる。すなわち、生命体は生まれながらにして、不完全な「マックスウェルの悪魔」と契約しているというのが、本来のカイロプラクティックの考え方であるかもしれない。

 ただし、「マックスウェルの悪魔」がきちんと仕事ができるのは平衡系であるが、生命体はそもそも非平衡系である。その意味では、生命体のエントロピー逆転現象は、一般的な「マックスウェルの悪魔」の振る舞いとは、趣が異なるとも言える。
 

 ステファンソンのカイロプラクティックの33基本原則では、26番目に「生命のユニバーサル・サイクルを継続するために、構造的物質に関しては、ユニバーサル・フォースは破壊的であり、イネイト・フォースは建設的である」と言っているが、まさに、このユニバーサル・フォースこそ、熱的死に向かうエントロピー増大であるとも言え、すべてが乱雑になっていく普遍的なエントロピーの増大は、構造を維持する秩序に対して破壊的である。

 生命のユニバーサル・サイクルとは、地球上に生まれた生命というシステムが、エントロピー増大により、それぞれの個体生命は次々に死滅していくにも関わらず、途切れることのない循環によって、適応と進化を繰り返していることであろう。まさに、エントロピーが増大する不可逆な過程に逆らうかの如く、新たな生命を生み出し、力強く躍動しているように見える。そこでは建設的であるイネイト・フォースが構造的物質に作用し、生命のユニバーサル・サイクルを維持していると言えよう。

 では、生命とは何か? その答えの一つが、次に述べる「散逸構造」である。

参考文献

木村 功(きむら・いさお)

・カイロプラクティック オフィス グラヴィタ 院長
・柔道整復師
・シオカワスクール オブ カイロプラクティック卒(6期生)
・一般社団法人 日本カイロプラクティック徒手医学会(JSCC) 副会長兼事務局長
・マニュアルメディスン研究会 会員
・カイロプラクティック制度化推進会議 会員

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