「イネイト・インテリジェンスとは何か?」第18回
イネイト・インテリジェンスの甦生(4)

(2)カオス 1

 前回、非線形現象という言葉が出てきていたが、ブリタニカ国際大百科事典では「2つの量の変化の間に比例関係が成り立つとき、これを線形現象と言い、比例関係が成り立たないとき、これを非線形現象と言う」とされている。極めて単純に言えば、非線形とは数値をグラフ化したとき、直線にならないものということもできる。

 線形、非線形は数学の概念であるが、数学自体は自然の有様を抽象化したものと言っても良いと思う。つまり、自然の営みを単純化した概念とも言える。しかし、自然現象をより正確に記述しようとすれば、ほとんどの自然現象は非線形現象となるわけで、そういう意味では線形の方が自然界においては不健全なものと言えるかもしれない。

 また朝日新聞出版発行の知恵蔵では、「カオス、ソリトンは非線形の代表例」とされている(ソリトンとは、津波などのように衝突しても互いに波形が変わらずにすりぬける性質をもつ孤立した波にみられる非線形現象)。
 

 ということで、今回はカオスについて話をしていきたい。カオスについては、下記のYouTubeがわかりやすい。

https://www.youtube.com/watch?v=JLGyVNUuNDI&t=11s

 

 この動画だけでカオスの大筋は把握できるが、一応解説しておく。カオスには明確な定義はないが、「非線形な決定論的力学系から発生する、初期値鋭敏性を持つ、有界な非周期軌道」と言われている。これだけでは、何が何だかよくわからない。非線形については、先に説明した通りであり、カオスもまた数学的概念である。

 力学系とは、一定の規則に従って時間の経過とともに状態が変化する系(システム)、あるいはその系を記述するための数学的なモデルのことを言う。力学系を英語で言うとダイナミカル・システムであるので、要するに動的なシステムと言える。

 その中で、特に決定論に従う力学系を扱うことを強調して決定論的力学系と言ったりする。決定論とは、明確に因果関係がある、または近似的に因果関係が成立することであり、常に原因によって結果が定まる状態である。また、カオスが発生する力学系は非線形力学系であるが、非線形力学系であれば、必ずカオスが存在するわけではない。
 

 まず、カオスの特徴の1つである「初期値鋭敏性」について、説明していきたい。「初期値鋭敏性」とはいわゆる『バタフライ・エフェクト』のことで、MIT(マサチューセッツ工科大学)の気象学者のエドワード・N・ローレンツが、1972年にアメリカ科学振興協会で行った講演のタイトル『Predictability: Does the Flap of a Butterfly’s Wings in Brazil Set Off a Tornado in Texas?(予測可能性:ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?)』に由来すると言われている。

 動画に則って説明すると、動画にある微分方程式は、大気変動モデルを研究していたローレンツが、1961年に大気モデルの変化を表すために書いたものである。これはX、Y、Zの変数で表された簡単なモデルで、動画の空間の点はX、Y、Zで表された点である。その変化は座標内のベクトル場に沿っていく形になる。

 動画のように第1座標は温度、第2座標は湿度、第3座標は風速を表すとすれば、冷たく雨で風が強い状態と対側にその正反対の状態が規定できる。ローレンツの微分方程式によって、X、Y、Zの変数の推移を計算し、ベクトルの軌道をたどれば、天候の変化を見ることができる。

 要するに、複雑な現象を極めて単純化したモデルで、実際の現象の振る舞いを大雑把に見ることになる。これは物理学などでもよく使われる手法で、状態を単純化して何らかの法則を探そうとするようなものである。端的にはオッカムの剃刀(=ある事柄を説明するための仮定は、必要最小限するべき)をかけるようなこととも言える。

 動画では、非常に近い2つの点を仮定する。これらはほぼ同じ条件である(自然界ではそもそも完璧に同一条件になることはあり得ない)。

 ローレンツの場合、3回ほぼ同じ初期設定でシミュレーションを行ったにも関わらず、全く違う結果が現れた。その原因は、初期設定数値における小数点以下6桁のノイズとも言える「小さな誤差」が影響していたためである。

 動画のように、最初のうちは同じように動くが、時間経過とともにやがてズレが生じ、それがさらに拡大して、完全に異なった大気状態になってしまう。同じ計算式に同じような数値を当てはめて計算していったにも関わらず、大きな違いを生み出してしまう。

 これが、いわゆるバタフライ・エフェクト=「初期値に対する鋭敏なる依存性」と言うカオスの特性の1つである。この初期値鋭敏性には、空間的には秩序立っているのに、時間的には無秩序になるパターンや、逆に時間の中では秩序立っているのに、空間では無秩序となるパターンもある。

 このようにカオスである実在のシステムの将来を数値実験で予測しようとしても、初期状態の測定誤差を無くすことはできないため、長時間後の状態の予測は近似的にも不可能となり、これを「予測不可能性」と言う。

 ここで言う予測不可能とは、全くのデタラメということではない。初期値鋭敏性により、厳密に状態を予測しようとすると、各時間空間点における無限精度の情報が必要となる。どんなコンピュータでも無限桁を扱えないため無理筋となり、しかも、計算の過程での誤差(小数点以下〇〇桁における四捨五入など)によっても、得られる値のズレが増幅されてしまう。そのため予測が事実上不可能という意味である。

 このように、決定論的な簡単な微分方程式において、原理的に確定しているはずの解の列がまったく予測不能となる。ただし、カオスは決定論的法則に従うので、短時間内の予測は近似が取れる。

 現在、雨が降っていれば10秒後もまず雨であるが、1000分後は計算予測できない。これがわかりにくければ、例えば歩行がカオスであれば、1歩目の状態から2歩目に右足の親指が、どの時間にどの位置に着地し、どの程度の力がかかるかが予測できても、1000歩目に右足の親指が、どの時間にどの位置に着地し、どの程度の力がかかるかは、どれほど単純に定常的に歩行していたとしても、計算して予測することは不可能である。

 このように予測不能であるが、因果関係は決定論的に定まっている。つまり、論理的には決定論的で、現象面では予測不能性がある。このカオスの初期値鋭敏性によって、同じ条件であれば同じ結果、似た条件であれば似た結果が出るとされる科学的概念(=自然の斉一性原理)が覆されたと言える。

 平たく言えば、世界における現象は法則と偶然、つまり確率に支配されているわけでなく、法則そのものや確率が計算に頼る限り、予測不能な状態を生み出すものであり、法則性も確率も、なんら確実なことを提示できない。

 そもそも確率自体、アテにならない。例えばサイコロの出る目の確率は、それぞれ1/6ではない。サイコロを何万回と振って、その出る目を調べてわかるのは出る目の確率ではなく、そのサイコロはどの目が出やすいか、つまり、そのサイコロの重心がどのように偏っているかと言うことであり、サイコロの本質を考えず、サイコロの表面だけをみて計算上出る目の確率は1/6と言っているに過ぎない。

 そういう意味では、法則性と統計学的確率に根拠を求めるEBMなども、果たして何を見ているのか、それがどれだけ信頼に足るものなのか、甚だ疑問である。そもそも、数値計算によって導き出されている根拠自体、対象がカオスであれば予測不能なはずであるのに、何を持って根拠とするのか理解できない。人体がカオスであれば、将来の状態を予測することは不可能であるにも関わらず、なぜ単純にその根拠を正当だと盲信できるのであろうか。まるで、曲線を無理やり直線だと言い張るようなものである。

 逆に言えば、カイロプラクティックが提示する根拠もそういうことを考慮しなければ、信頼するに足り得ないと言える。根拠を求めるために、いたずらに現代医学の手法を踏襲するべきではない。

 では、カオスの前に何も信頼に足る予測ができないのかと言えば、必ずしもそうではない。自然界の持つカオスの局面において、より信頼に足るものは、実のところ人間の経験と感覚しかない。例えば漁師が、自分の漁をする海の天候の変化を経験的に言い当てる方が、コンピュータの数値計算による天候のシミュレーションより的確であったりする。つまりは、人体の営みがカオスであれば、形式的なEBMより経験豊かな治療家の見立ての方が、人体の状態をより的確に把握できる可能性が示唆される。

 さて、前々回において重心の位置移動がカオスであるとした。カオスであれば、どこかの椎間関節の可動が0.0…01度違うだけで、身体の状態は大きく変わる。つまり、身体のどこかの関節の動きが微妙に違うだけで、各関節面にかかる荷重点は、常に計算上では予測不能となる。

 そうすると、重心位置の変動もまた予測不能であろう。つまり、いわゆる科学的な手法で重心の変動を予測解析することが困難であると思われる。これは、現状の科学で人間の動きを模したロボットができない点でも明白である。

 然るに、おそらく人体にはより適切な重心移動が決定論的にあると考えられる。つまりは、筋骨格の状態変化に適応した、動作が円滑に継続できる重心移動である。重心移動という観点で最も問題となるのは、運動の推移において重心を上手く移動できない状態であろう。

 前々回、その状態を運動のための重心制御における不滑動化、あるいは偏動、固着と表現した。人体の筋骨格系および、それを制御する神経系、それら以外の循環器系や消化器系、免疫系という現代医学的なシステム概念を用いても、それらの系(システム)の微妙な変化によって、運動における重心がどのように変動推移していくかは、実にカオスであるとしか言えない。

 振り返って、われわれカイロプラクターが、唯一提示できるカイロプラクティックの有用性の根拠を考えると、「サブラクセーションに対するアジャストメントは、人体に何らかの変化をもたらす可能性がある」という点だけであろう。

 人体に問題があるとき、人体は特定の構造状態で固定的に機能している。そのため、同じ問題が持続する。つまり、人体という有界内において固定的な周期軌道状態を取る。平たく言えば、レコード針が飛んで同じ部分を再生し続けるようなものである。

 アジャストメントが与えた何らかの変化は、人体という有界内における固定的な周期軌道状態を破壊する。つまり、システムの作動状態を一時的に破壊する。このとき、システムの作動は混乱するが、システムが破綻するわけではないので作動が停止することはない。

 カオスは先に述べた通り、「有界な非周期軌道」を取るものであるので、正常なカオス状態であれば固定的ではない。結果的にシステムは作動をやり直す形になり、人体は本来の「有界な非周期軌道」を再開し始める。この再開が、イネイト・インテリジェンスの賜物であると考えるのがカイロプラクティックであろう。この「有界な非周期軌道」については、次回に述べていきたい。
 

参考文献

木村 功(きむら・いさお)

・カイロプラクティック オフィス グラヴィタ 院長
・柔道整復師
・シオカワスクール オブ カイロプラクティック卒(6期生)
・一般社団法人 日本カイロプラクティック徒手医学会(JSCC) 副会長兼事務局長
・マニュアルメディスン研究会 会員
・カイロプラクティック制度化推進会議 会員

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