「イネイト・インテリジェンスとは何か?」第38回
イネイト・インテリジェンスの甦生(14)

(4)自己組織化臨界現象 1

 さて、本論の方も進めていこうと思う。先の自己組織化であるが、「自己組織化臨界現象」(Self-Organized Criticality, SOC)というものがある。これはパー・バックというデンマークの物理学者が1987年に提唱した理論であり、一つのモデルである。いわゆる複雑系に関係しているものであるが、定義するのは難しい。無理やり定義するとしたら「多くの要素が複雑に相互作用している大規模な系では、外部から制御しなくても自ら臨界状態と言われる状態に向かって移行する現象。この状態では、あらゆるサイズの時間的、空間的な変化が生み出され、大部分の小さな変化の中に稀に大きな変化が引き起こされる」というものである。
 

 これを型式化したものに「砂山くずし(sand-pile)」というものがある。開発者3人(Per Bak、Chao Tang、Kurt Wiesenfeld)の名前の頭文字をとってBTWモデルとも言われている。大きなテーブル上に砂時計のように上の一点から砂が落ちて砂山を築く場合、砂山は次第に高くなっていき、重力と砂粒の摩擦の相関でそれ以上高くなれないところまで成長する。これは一つの秩序の形成であり、砂山の高さは砂粒の大きさや形や重さ、さらにテーブル面積の大きさ等で決まるという決定論的因果関係を持つが、同じ機構であっても砂粒がどのタイミングで、どこに落ちるかという初期値によって砂山の形は全く異なるものとなり、予測不可能なカオス的様相を持つ。

 さらに上から砂をこぼし続けると、砂山のどこかで崩落が起きる。これをアバランチ avalanche (雪崩)現象と言う。このとき砂山は、崩れ落ちる前までの自己組織化が臨界に達し、砂山のどこかが崩れ落ちることで、また安定した形状を形成するという意味で、次なる自己組織化に移行する。しかも、その安定性は継続して砂が上から落ち続ける以上、静的なバランスによるものではなく、動的な砂の流れに依存している。つまり、崩れ落ちようとする力と今の状態を維持しようという力が拮抗し、辛うじて現状の自己組織化された砂山の状態が維持される。

 このようなギリギリの状態は一種の臨界状態にあり、この状態は核分裂連鎖反応の持続が起こる間際のプルトニウムの臨界状態に極めてよく似ているとされている。そして、この臨界状態が維持できなくなると、均衡が崩れて次の状態に移行する(臨界点を超えて安定化する)わけであるが、砂が常に落ち続ける以上、この状態は一瞬である。崩落の連鎖反応は、いつどこで起こってもおかしくないのであるが、砂山の中で砂粒の不安定さによる、ゆらぎと言ってもよいような僅かな移動が引き金になって、 大小さまざまな雪崩が起こる。このとき、大きな雪崩ほど頻度は低く、小さな雪崩はかなり頻回に起こる。
 

 つまり、一見バラバラに起こっているように見える、これらの雪崩の大小と頻度の間には、そのべき乗(=同じ数を複数回掛け合わせる計算)に反比例するという法則【パレートの法則=全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出しているというべき乗則】が成り立っていると言われる。平たくいえば、雪崩の大きさが僅かに増大するに従って、起こる回数は急速に減少するということになり、小さな変動は頻繁に起き、巨大な変動(いわゆる現状に対する破滅的なイベント)は稀に起きるという関係となる。ある意味当たり前で、高頻度で小さく崩れていれば、砂山は常にどこかで微妙なバランス状態を保ち続け、崩れやすい状態が継続するが、大きく崩れれば砂山のバランスはある意味安定的になり、また砂が積み上がるまで崩れにくくなると考えられる。

 このときの秩序だった安定性は、重力に対して砂粒の摩擦力によって、各砂粒が砂山に留まろうとする力に依存している。また、崩壊する際の不安定性は、重力と追加される砂粒が互いの摩擦の限界を超えようとすることで生じる。砂が上から一点に降り注ぐことで、砂山は斜面が一定の角度(臨界角と言える)になるまで、砂を溜め込む組織化が継続し、この臨界角を越えると雪崩(臨界現象)を起こして摩擦力と重力のバランスを再度取り始める (砂が崩れることなく安定を保つことができる、斜面と水平面がなす最大角度を安息角と言う)。

 このとき、なかなか崩れない「亜臨界状態」と、際どい均衡状態である「臨界状態」、そして今まさに崩れようとする「過臨界状態」の間を行き来する。これらがこの砂山を維持する状態において、ある種の「せめぎ合い=擾乱 disturbance」を生んでいるわけである。この「せめぎ合い」により、砂山は常に崩れるか崩れないかの「縁(エッジ)」で臨界状態をあちこちで生み出す。これは「カオスの縁(The Edge of Chaos)」と言われる状態で、安定し過ぎて変化がない状態ではなく、また完全にカオスな状態でもない、ちょうど低温状態で水と氷ができる相転移の境目のように凍ったり、溶けたりを繰り返すように静的な秩序と動的な混沌の狭間の状態にある。さらに、雪崩の規模に特有のサイズがなく、小さな出来事も大きな出来事も同じ原理で起こるスケールフリーな状態で、一部の要素の変化が連鎖的にシステム全体へ影響を与える、長距離的な相関性がある。

 この自己組織化臨界における「せめぎ合い」は、システムが常に危機(不安定状態)に瀕しながらも、それを逆手に取って構造を更新・維持し続ける「レジリエンス(回復力)」の機構とも言える。これはいわゆる情報処理や生物進化などに最適な領域とも言われる。この「せめぎ合い」が突破され、例えば自然界の許容範囲(=閾値)を超えると、草原が砂漠に変わるように生態系の構造や機能が、全く別の状態に不可逆的に変化することがあり、これをレジームシフト(Regime shift 体制転換)と言う。この場合、状態が激変した原因を取り除いても、システムは元の状態に戻らないことが多い。
 

 このように自己組織化臨界現象は、外部からの制御のない状態で、システムが自律的に相転移の境目であるような臨界状態を保ち、小規模な変化から大規模な雪崩現象まで、様々なスケールの応答を引き起こす複雑系の動的現象であり、非平衡な自然現象に共通する基本原理ではないかとされている。また、外部からの細かな制御なしに、システムが自発的に「臨界状態」へと変化し、大小さまざまな規模の変動を引き起こすという物理学的概念でもある。外部から特別なメカニズムの調整を行わなくても、システム自体が自然に不安定な境界(臨界点)へと達し、小さな雪崩も大きな雪崩も同じメカニズム(換言すれば統計的性質)で説明される。

 自己組織化臨界現象は、「なぜ自然界にはこれほどまでに複雑で、予測不可能な巨大イベント(地震や洪水、あるいは経済的暴落など)が起こるのか?」という問いに対し、「システムそのものが、本質的に不安定な状態を自律的に作り出しているためである」という視点を与えており、複雑な世界が秩序と無秩序の境界線上で、いかに際どい動的なバランスを保っているかを説明する重要な概念である。臨界状態は非常に繊細で、次にいつ大規模なイベント(大地震や大洪水など)が起きるかは、決定論的でありながら原理的に予測できないカオスのようである。この自律的な臨界状態は、外部からの操作はなくシステム自らにおいて、「いつ、どこで、どれくらいの規模」で変動が起きるかわからないシステム自体の微妙な動的バランスに依存している。
 

 これを人体で考えた場合、通常の現代医学では、人体の状態を「恒常性」や「血液検査の数値」などに代表されるような、各器官系における点時間上のある種の静的な均衡によって理解する形になり、人体は点時間の連続態として常に外的要因に対応して特定の均衡状態を維持していることになる。これは人体を還元主義的に抽象化して捉えるということである。それが正しいのならば、病気や強烈な痛みといった大変動は、それを引き起こす外部からの別の要因が常にあるはずである。この場合、実際には大きな変動が起きたあとでないと、人体の問題を確定できない。つまり、要因に対してではなく、結果に対してしか治療を行えない。

 また、現代医学が要因に対して治療しようとすると、高血圧や脂質異常症、あるいはワクチンのように、まだ病気とは言えない状態に対して長期間、あるいは死ぬまでその薬剤を摂取しなければならないということになってしまう。このような人体の捉え方は間違いではないが、十すべてでもない。ちょうど熱力学において内燃機関を閉鎖系で捉え、その理想状態を模索することに近い。

 これを自動車に例えれば、現代医学はエンジンやサスペンション、ブレーキ、車体剛性など理想型を個別還元的に捉えていくことで、より効率の良い車を目指すエンジニアリングのようなものであるが、カイロプラクティックでは、実際に走っている自動車において運転者も含めてシステム全体を見ることで、その走行における理想状態を目指すチューニングとも言える。これは車を図面上の設計から工場で生産していくことと、サーキットを走っている車をピットで調整することとの違いに近い。
 

 人体の有様を、例えば機能を上げる力と下げる力、構造を作る力と壊す力、動くときの倒れようとする力と立ち直ろうとする力など、人体システムが生まれながらに持っている能力によるシステムの状態を変動させる、内的な力の「せめぎ合い」によって起こる、自己組織化臨界現象として捉えれば、人体システムは崩れようとする小さな要素の積み重なりを、維持しようという状態と維持できずに崩れて新たな安定状態に移行してしまうことを繰り返す、いわば「ゆらぎ」の状態の中で、あるときに何の前触れもなく突然大きく崩れて変化する場合があると考えられる。

 つまりは、人体自体が本来持っているシステム上の性質のために、人体に問題が起こると考えることもできるわけである。しかし、これはシステムの正常な作動であるので、システムはなんら破綻しておらず、病気とは言えない。しかしながら、先の閾値を超えたレジームシフトの状態になると、人体は状態を不可逆的に激変させる可能性があるが、シフトした状態で別のシステムを構築していくことになる。これは変形性関節症や自己免疫疾患などで見られるものと考えられる。いずれにしろ、人体は遺伝的特質や老化などにより、その許容範囲(=閾値)を変化させていき、状態を適応させる。
 

 この自己組織化臨界現象が継続するシステムの作動そのものを、カイロプラクティック的にイネイト・インテリジェンスと考えることもできる。運動時の倒れようとする力と立ち直ろうとする力に例を取れば、歩行時には足を踏み出すが、前に出た足が地面に着くまでは倒れようとしている。地面に着いた瞬間崩れが収まり、新たな安定状態になる。この変化により位置の移動が行われる。これを人体の重心移動の観点から見ると、それは点時間における静的均衡において、最適な重心を取るという断続したアニメーションのような状態ではなく、切れ目のない持続的な時間経過における、倒れる力と立ち直る力の動的な「せめぎあい」の結果、崩れては再形成される砂山のように維持され、ある種の「ゆらぎ」の中で重心が崩れ、また新たに滑らかに再構築されることで、移動しているという状態が見えてくる。これはまさに刹那生滅と言える。

 このときの「ゆらぎ」とは、端的には人体の脊柱を中心とした重力制御のための各関節や、それに関連する構造体における「遊び」から生まれるものであろう。このような重心移動においては、「ゆらぎ」の許容範囲が小さくなってしまうと、再構築の範囲が非常に狭くなり固着的になる。これが継続することで、システムの特定部分に過剰な負荷がかかり、システム作動を偏ったものにさせてしまう可能性がある。これがサブラクセーションと考えることもできる。このとき、いずれかの構造体において「遊び」が減少している可能性が高い。このような状態に対して、外的に変動を加えることで「ゆらぎ」の許容範囲を拡大し、システム自体が本来的な自己組織化を再構成することができれば、問題を解消する可能性が生まれる。これがアジャストメントであり、構造体の「遊び」は拡大している可能性が高い。

 つまり、バランスの取れた人体が外からの要因によってバランスを崩されるのではなく、また崩れたバランスを外からの直接的な介入で、バランスの取れた状態に戻すのではない。この場合、本来的に常に変化する外的状況に応じて、人体自体のバランスが崩れ続け、同時に変化に応じた微妙なバランスを取り続けなければならない人体が、動的に変化するバランスの再構成を盲目的に継続し続けることで、いつしかシステム作動の許容範囲を狭め、結果的に最適なバランスを形成できず問題を生じるわけである。しかし、きっかけがあれば、システムは本来の最適なバランスを再構成していくわけであり、このようなシステム作動自体をイネイト・インテリジェンスの働きと考えることもできる。

 平たく言えば、システムの作動の継続によりシステム自体のバランス維持の許容範囲を、狭くしてしまうような状態の形成がサブラクセーションと言え、この場当たり的なその場しのぎのバランス状態を一旦壊すのがアジャストメントである。結果的に自律的に作動を再構築し最適化するのはシステム自体でしかなく、これはカイロプラクティック哲学におけるイネイト・インテリジェンスの働きの概念と同質である。
 

 さらに、さまざまな外的・内的要因で、システム作動の許容範囲を超えたレジームシフト状態になれば、人体のシステムは不可逆的に変化し、変化したその状態で適応するのであれば、それもイネイト・インテリジェンスの働き、つまりシステム自体が持つ適応能力によるものと言える。この外的・内的要因には、先に挙げた遺伝的特質や老化以外に、システム論のところでD.Dパーマーがサブラクセーションの起こる原因として挙げた、下記の3つも含まれるであろう。

1.Trauma トラウマ-外傷
2.Toxin トキシン-毒素
3.Thought ソウト-思考・自己暗示
 

 D.D.はこれらをサブラクセーションのきっかけとして提示したが、作動が本質である人体システムを、自己組織化臨界現象を持つ散逸構造として考えると、これらのストレスをシステム内で許容処理できない状態がサブラクセーションだとも言える。これはシステム自体の劣化によるものではなく、システムが盲目的に作動することでその許容範囲(=閾値)を狭めるために起こる。

 我々が診ている患者は、上記の外傷・毒素・自己暗示によって、人体システムを破綻させるほどの異常なレベルに達しているわけではない。また、単にこれらの蓄積が直接的にサブラクセーションを生じせしめるのではなく、人体システムの作動自体がこれらを上手く処理できなくなり、許容範囲が狭くなることで結果として人体にサブラクセーションを生じせしめると考えられる。

 しかしながら、同じレベルの外傷であっても、それが誰にでもサブラクセーションのきっかけになるとは限らない。本来、外傷、毒素、自己暗示は必ずしも悪いものではない。外傷は体を強靭にし、毒素は薬にもなり、自己暗示はプラセボのように人体を活性化することもある。つまり、これらは許容範囲内であれば人体における自己組織化を強化する側面があり、さまざまなストレスがあったとしても、人体に対してアジャストメントが必ずしも必要とは限らないと言える。人間には、弱いストレスに適応できない者もいれば、大きなストレスであっても適応できる者もいる。その意味では、外部からの刺激の強弱ではなく、人間の精神を含めたシステムにおける適応許容範囲に依存してサブラクセーションは生じると考えられる。
 


木村 功(きむら・いさお)

・カイロプラクティック オフィス グラヴィタ 院長
・柔道整復師
・シオカワスクール オブ カイロプラクティック卒(6期生)
・一般社団法人 日本カイロプラクティック徒手医学会(JSCC)で長年、理事、副会長兼事務局長を務める
・マニュアルメディスン研究会 会員
・カイロプラクティック制度化推進会議 理事

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