榊原DCとの出会いとミャンマー研修
現在、名古屋在住の榊原直樹氏の元で学びながら、同地でカイロプラクターとして活動を続けている高瀬大門君が、榊原氏との出会い、同氏と共に渡航したミャンマーでの経験、そして今後のカイロプラクターとしての生き方について寄稿してくれたので、これを紹介する。
出会いから始まった変化
名古屋で活動するカイロプラクター、高瀬大門です。私はカイロプラクティックをほぼ独学で学び始め、5年が経過しました。2023年1月、あるお客様の紹介で榊原DCの存在を知り、翌日には直接電話をかけました。それが、私の人生を大きく変える転機となりました。榊原DCの施術を初めて受けたときの感動は今でも忘れられません。卓越した技術の前に、まるで身体が反応したかのように鳥肌が立ちました。この出会いから2年近くが経過し、数え切れないほどの学びと経験を得られたことに深く感謝しています。
ミャンマーでの挑戦
2024年11月4日から11日まで、榊原DCと共にタイ・バンコクを経由してミャンマーへ渡航しました。到着後すぐ、NGOが運営するクリニックで治療を開始。初日、32人の患者と聞いていましたが、終わってみれば50人もの患者を診ることに。これまで1日16人以上の患者を診た経験がなかったため、不安はありましたが榊原DCの「自分のベストを尽くすだけだ」という言葉を胸に施術に臨みました。
患者の多くは50〜70代で、主に下肢に問題を抱えていました。日本の患者と比べても痛みの場所は似ているものの、変性の進行が著しいと感じました。適切な医療環境が整っていれば軽度で済んだはずの症例も多く、もどかしさを覚える場面もありました。
印象に残った患者とその経験
初日の1人目は両膝の痛みを訴える70代の患者。関節の変性が進行しており、膝蓋骨の動きにも引っかかりを感じました。丁寧に触診し、内側膝関節の圧痛を確認。関節包をやわらかくリリースし、半月板の調整を行いました。結果は十分とは言えなかったかもしれませんが、患者が笑顔で帰られる姿を見て、やれるだけのことはやったと納得しました。一方でサッカー少年の膝痛のケースでは、膝窩筋腱の問題を特定しリリース。痛みがその場で消え、少年が走り去る姿を見た瞬間、カイロプラクターとしての手応えを感じることができました。
榊原DCと共に歩む学び
さらに、現地のお寺でのお坊様の治療にも携わりました。足底筋膜炎の治療を任され、榊原DCに見守られる中で施術を行うという贅沢な体験をさせていただきました。その後も、タイに戻ると患者がホテルに訪れるなど、榊原DCの実力の高さと信頼感を目の当たりにしました。榊原DCの施術を近くで学びながら、私自身も新たな目標を明確にできたことは大きな収穫です。
まとめ
今回の研修は、カイロプラクティックへの情熱が試されるものでした。周囲からはミャンマー渡航への懸念もありましたが、榊原DCと共に行くと決めたのは自分の信念があったからです。現地での経験を通じ、カイロプラクティックの可能性を改めて実感しました。また、医療が十分に行き届いていない環境で、その必要性を痛感する場面も多くありました。日本ではカイロプラクティックは法制化されておらず、衰退しているとも言われますが、この技術が持つ素晴らしさが失われることはないと確信しています。今回の経験を糧に、さらなる成長を目指していきたいと思います。
高瀬 大門
インスタグラムアカウント https://x.gd/EzWDo
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