代替療法の世界 第31回「三位一体」

発見者から発展者へ、そして現代へ

カイロプラクティックは哲学、科学、芸術の三位一体である。これはDDパーマー(DD)の古典的著作「カイロプラクティックの科学、術、哲学」というタイトルと同じだ。カイロプラクティック成立以前、脊柱矯正術の類いはたくさんあった。医聖ヒポクラテスもそうした矯正術をしていた記述がある。DDが1895年の9月18日にハーベイ・リラードをアジャストメントするまでは、矯正術は定義づけられたものではなかった。DDによって発見された方法は、息子であるBJによって更なる発展を遂げ、現在に至る。

 

イネイトがすべてを治す!?

今日では、純粋にカイロプラクティックのイネイト理論を守るカイロプラクターは少なくなった。いわゆるストレート派というものだ。彼らの想いは単純明快である。イネイトの力を信奉しており、イネイトがすべてを癒すと考える。イネイト・インテリジェンス(Innate Intelligence)とは、人間が生まれながらに持つ自然治癒力のことであり、イネイトにより身体はコントロールされており至高のシステムとして君臨する。であるから人間ごときがいくら考えようが、「イネイトが考えて実行すること」に対して無力であるという。イネイトがすべてを治すというのであるならば、ただちに次の疑問が湧く。なぜイネイトが働いているのにサブラクセイションができるのか? なぜイネイトによりサブラクセイションがなくならないのか?

 

ブラックボックスでも入力、出力は単純明快

イネイトは増えもしないし、減りもしない。そのイネイトの働きを妨げるものがサブラクセイションであるという。サブラクセイションを除去するためには、何らかの形で物理的方法を用いる。それは手であれ機械であれ、力の大小はあるであろうが、身体に対して干渉する。その干渉は神経を介して脳に入力される。脳の働きは解明されてきたとはいえ、まだまだブラックボックスである。

ここで思考実験をしてみる。「イネイト=脳」としよう。カイロプラクティックのアジャストメント前と後を比較する方法に、「姿勢の変化、筋力の変化」で見るやり方がある。アジャストメントのインパルスは肉体を介し受容器である脳に伝達される。そして効果器でもある脳はインパルスに応じた情報を肉体に伝達する。そしてアジャストメント後に「姿勢が変化し、筋力も変化する」という生理学的事実を考察すれば、イネイト理論のほころびが見える。いかに論理的破綻をきたしているかを以下に考察する。

 

3点方式

3点方式を例に出して考察してみる。まずはパチンコを例に出す。パチンコの3点方式とは?

  1. パチンコ店から遊戯のパチンコ球を有料で借りる
  2. 出玉に応じて、パチンコ店は景品を渡す
  3. たまたま店の近くに古物商店(換金所)があり、店で受け取った金のコインやら高級万年筆を換金する

パチンコ店は景品を渡さずに直接現金を渡せば、賭博法違反になる。だからパチンコ店だけは例外的に3点方式が認められているのだ。以前テレビ報道でカジノ店などが同様に3点方式で営業していたが、法の網はかいくぐれなかったようで警察に逮捕されていた。

 

カイロプラクティックの3点方式とは?

1. サブラクセイションを見つける
2. アジャストメントをする
3. イネイトが身体を治す

これも、サブラクセイションを見つけてアジャストメントすれば、それで治療終了となる話であるが、イネイトを出すことで直接の治療をしていないという詭弁になる。なぜこのような論理展開が必要だったのか。初期の頃のカイロプラクターたちは偽医者ということで投獄されていた。サブラクセイションをアジャストメントするという行為が医療行為とみなされていたのである。それを回避するには、3点方式を用いて医療行為ではないようにカモフラージュすれば良い。であるからイネイト理論を持ち出さずにはいられなかったのであろう。

 

西洋医学からのブーメラン

アジャストメントにより、何らかの形で身体に変化が起こっている以上、イネイトにすべてを被せるのはおかしな話であろう。この図式を医師の処方する薬に変えても同じ話である。

  1. 診断する
  2. 薬を処方する
  3. イネイトが薬を取捨選択し、必要なものは身体に残し、不必要なものは体外に除去する

となり、最終的にイネイトが判断しているので医師には責任がないことになる。今まで、さんざっぱら薬を使わないのがカイロプラクティックであり、アジャストメントで自然治癒力を高めるという治療術であると喧伝してきたのではないのか。カイロプラクティックの独自性を宣伝するためにアロパシー(西洋医学)を否定するのも結構なことではあるが、アジャストメントが効果を出してきたと主張するならば、そっくりそのままアロパシーを否定した分だけの反動が帰ってくるのである。

 

科学を放棄することは思考しないことと同じ

冒頭のカイロプラクティックの三位一体説は自転車に例えると、哲学は人間、科学は前輪、芸術は後輪になる。イネイト至上主義であれば、イネイトこそが身体を癒すのであるから科学は要らなくなる。科学がなくなれば二輪車ではなく一輪車になる。自転車の目的は移動である。一輪車の目的は何であろうか。少なくとも移動ではないだろう。サーカスや大道芸でのピエロのイメージ。イネイトに拘泥し道化師を演じつづけるのか? カイロプラクティックは哲学、科学、芸術である。これは創始者の定義した言葉である。どれが抜けてもカイロプラクティックではないのだ。


山﨑 徹(やまさき・とおる)

はやま接骨院(高知県高岡郡)院長
・看護師
・柔道整復師
全日本オステオパシー協会(AJOA)京都支部長
シオカワスクールオブ・カイロプラクティック ガンステッド学部卒NAET公認施術者
 
看護師、柔整師の資格を有する傍ら、カイロプラクティックとの出会いからシオカワでガンステッドを学び、21世紀間際にスタートした科学新聞社主催の「増田ゼミ」 で増田裕氏(D.C.,D.A.C.N.B.)と出会ったことから、以後、氏の追っかけを自任し 神経学、NAETを学ぶ。現在は専らオステオパシーを学び実践しているが、これまでに 身につけた幅広い知識と独特の切り口でファンも多く、カイロ-ジャーナル紙から引き続き連載をお願いしている。

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