『科学新聞社プレゼンツ 10月イベント』
その8 JSCC最後の会長 小倉毅氏

 小倉氏と初めてお会いしたのは、もう30年以上も前のことである。1993年に業界の法人・法制化を目指し糾合したカイロ連(日本カイロプラクティック連絡協議会)が、設立準備のための会議を盛んに開いているときだった。AJCA(全国カイロプラクティック師会)という団体から、三十歳そこそこの若さで出席していた。と言っても、このときに面識を持ったというほどでもなく、単に会議出席者のメンバーとして顔を合わせたという程度だった。会議出席者の中には面識のある方も結構いたが、初対面の方とはそのうち顔を合わせる機会が増えればと思っているうちに、氏の姿を見かけることがなくなってしまった。

 このとき小倉氏はちょうど留学準備に入っていたときらしく、その後94年に渡米しライフ・ウェストに入学、98年に卒業し帰国したわけだが、この年の卒業前に連絡をいただいた。一時帰国中に銀座のホテルで勉強会を開くので協力してほしいとのことだった。喜んでそのお手伝いをさせていただいた。お会いして「その節は」となってからは、一気に距離が縮まり現在に至っている。帰国後10年余りの間に、広尾オフィスの開業に始まり、JCDC(日本カイロプラクティック・ドクター専門学院)副学院長、仙台校の開校および初代校長、全校の学院長就任と続き、次いで東北大の大学院医学系研究科入学、同博士課程修了、医学博士取得と目まぐるしく活躍の場を拡げていった。

 前にも書いたが、宮城県出身の私にとって仙台校と東北大というのは特別、頼まれなくても応援したくなる。仙台校は私が通った小学校のすぐそばだったし、東北大も学部によっては目と鼻の先だった。仙台校の入学式、卒業式には何度お招きいただき、お邪魔したことか! そうして、ずっと傍らで見させていただいて、その行動力、突破力に舌を巻いたものだった。その後、11年に東日本大震災に見舞われるなど、決して順風満帆というわけにはいかなかったが、その都度、身に振る火の粉をはねのけてきた。そして18年にJSCC(日本カイロプラクティック徒手医学会)の会長を引き受けることになるわけだが、今度は震災ではなく未曽有のコロナ禍に見舞われ、断腸の思いで昨年その終息を司った。その姿は筆舌に尽くしがたいものだった。

 氏と当社の関係としては、帰国後まもなくの「症状別カイロプラクティック・ハンドブック」の出版を皮切りに、書籍、DVD、セミナーと本当にお世話になった。書籍はすべてJCDCの教科書として採用していただき、長きにわたって当社のカイロプラクティック関連事業の一翼を担ってくれた。最近では、それらの中の何点かが在庫切れとなり、折からの出版不況で増刷できない状況となっているが、小倉氏と共に十分その使命を果たしてくれた書籍たちにも、心から感謝している。


 小倉氏は私の得意なお酒をあまり召し上がらないので、酒席を共にするということは少なかったが、食事がてら私だけ飲むというパターンでも、よく付き合ってくださった。また一時、ゴルフの主催コンペやプライベートでもお誘いいただき、ご一緒させていただいた。私にとっては下手の横好き以外の何物でもないが、氏にとっては完全にスコア重視のスポーツなのだ。ちょっと前になるが、プロやかなりの上級者とラウンドしていると聞いた。そういうスコアなのだろう。先に私が始めていたので、最初のうちはまだ一緒にラウンドできたが、あっという間に全然違うレベルになってしまった。今となってはゴルフ以外でご一緒しましょうね、と言うしかない。

 たまに電話で話す機会があるので、それほど長い間お会いしていないとは思わなかったが、考えてみるとここしばらくお会いしていない。今回久しぶりにイベントで絡めることを心から喜んでいる。これを機にまた業界の発展のためにご一緒しましょう! そうできたらいいですね!

斎藤 信次

 

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