代替療法の世界 第50回
「わら人形の呪い」
鬼気迫る丑の刻参り
日本には古来より呪詛という概念がある。もっともポピュラーなのは丑の刻参りであろう。呪いたい人の名前を紙片に書いて、人に見立てたわら人形の中に入れる。そして五寸釘にて生木に打ちつけるというものだ。わら人形を打ちつけるのは、神社の境内にある御神木が最適とされている。また、時間帯も丑三つ時を狙うと良いとされる。現在の時刻で言うと午前2時頃から2時半頃までの30分間のことを指すから、その時間に白装束で一心不乱に釘を打つ姿は鬼気迫るものがある。時間を方角に直すと、丑三つ時はちょうど北東(丑寅)の方角になる。丑寅とは鬼門にあたる。だから鬼の姿を表す形は虎模様のパンツであり、頭には牛のように角が生えているのだ。鬼門の時間に呪うという手順が、「丑の刻参り」の流儀らしい。
それぞれの流儀
呪い一つ取っても流儀があるように、論戦にも流儀がある。言論の自由は保障されてはいるが、ある一定のルールが存在する。本筋とは無関係な部分を抜き出し、批判しやすい形に本筋を変更して批判する方法がある。この方法論を「わら人形論法」と言う。論陣を張りたい人で、なおかつ相手を言い負かしたい人には便利な論法である。しかしながら、岡目八目でやり取りを眺めると、論点ずらしの最たるものなので、論破しようとしている人の意図が知れるのである。論破してマウントを取りたい御仁にはうってつけの「わら人形論法」である。わら人形は意のままにできるから、それをもってして「わら人形論法」と言うのである。
点と点が線で繋がる
前回予告したレイチェル・リードDO(以下、リードDO)の件であるが、新たな情報が入手できたので、オステオパシーが日本でいかにして広がっていったかを考察してみる。代替療法の世界 第2回「日本におけるオステオパシーの夜明け」で、新渡戸稲造のお抱えDOことリードDOに焦点をあてた。その中で明治37年3月15日、京都看病婦学校にて行われた日本初のリードDOによる国際セミナー、「オステオパシーの原理及び実習」を紹介した。またセミナー後も、有志の生徒がリードDOより直接実技講習を受けている。その後、明治37年10月に現在の共立女子大学(神田の女子職業学校)にて講演を行った。その際の講演内容が文献として残っている。大日本衛生会発行・明治37年10月20日「夫人衛生雑誌第179号」である。この雑誌によれば、通訳は本田増次郎とある。本田増次郎は柔道を創始した嘉納治五郎の愛弟子であり、また富田常雄の小説「姿三四郎」のモデルとなり、講道館四天王と呼ばれた西郷四郎の親友であった。さらに大東流合気柔術の主張する伝承史によれば、西郷四郎の養父である会津藩の西郷頼母は、武田惣角に藩に伝わる大東流合気柔術(合気道の元となった武術)を伝授したとされている。
さあ、ここから大胆な考察の始まりだ
前提条件としてリードDOはフィラデルフィア校で「短テコ」を学んだ。当時はスティルの学校(ASO)が「長テコ」の技術を教えていた。したがってリードDOは「長テコ」の技術を習っていなかった。またフィラデルフィア校ではカール・フィリップ・マコーネルの本が標準テキストとされていたようである。以上を踏まえて考察に移る。
1.西郷四郎・本田増次郎を介した「柔術の活法」との接触
通訳の本田増次郎が、嘉納治五郎の愛弟子であり、西郷四郎の親友であった点は極めて重要である。柔術の「テコ」の伝達がポイントになってくる。大東流合気柔術や講道館柔道の源流にある古流柔術には、四肢を長テコとして利用し、体幹や脊椎に作用させる「活法」や「逆技」が豊富に存在する。であればこそ、「技術の交換」が行われた可能性が高い。リードDOが女子職業学校や京都看病婦学校で「解剖学的な理論」を提供する傍ら、本田やその周辺の武道家たちから、日本古来の「大きな骨格操作(長テコ的アプローチ)」を教えられ、自身のマコーネル理論を補完・修正した可能性が高いのではなかろうか。
2.「大東流合気柔術」の身体操作との共鳴
大東流は、手首や肘といった末端だけでなく、四肢全体をテコとして使い、相手の重心(体幹)をコントロールする技術に長けている。武田惣角が伝えた技術体系は、まさに「長テコ」の原理そのものである。特に座取り合気に見られる手の内の技法は、相手との接触点を崩さずに、術者自身の体幹でコントロールをするから「長テコ」であるのだ。また、合気は剣術からの応用であるので、その原点は甲冑剣術に見ることができる。刀で甲冑を切ることはできない。では、どうするか? 刀で相手を抑えることにより、手首、首などの動脈や手の腱を小柄にて突くか、切るかして戦闘不能にさせるのである。刀という長い武器を使い、相手を制御する。こうした技術は「長テコ」の最たるものであろう。リードDOが「原理」を教える過程で、西郷四郎の養父・頼母から武田惣角へと繋がる、「会津の秘伝(身体操作)」に触れる機会があったならば、彼女の中で「フィラデルフィア式の短テコ」が「日本伝来の長テコ」によって置き換えられたという仮説が成り立つ。
3.実践現場(看護・女子教育)での必要性
フィラデルフィア式の「マコーネルの本」による短テコ(微細な調整)は、臨床経験の浅い卒業生には習得が難しく、また即効性に欠ける場合が多かったであろう。当時の日本で求められていたのは即効性であった。事実、リードDOは現在の価値で1万円の治療費を取ってオステオパシーを提供していたのである。結果を出せたからこそ、1万円でも成り立っていたと考えるのが妥当だろう。リードDOは、日本滞在中に有志生徒への実技指導を繰り返す中で、日本人の小柄な体格を補うために、より力学的に有利な「長テコ(四肢を利用したテコ)」を、周囲の武道関係者の知見を借りて独自に構築したのではないだろうか。
結論としての考察
リードDOは、スティル直伝の長テコを知らずに来日したが、「本田増次郎―西郷四郎―大東流合気柔術」という武術的な節点に飛び込んだことで、皮肉にもASOのスティルが提唱していたような「ダイナミックな長テコ操作」を、日本の柔術的身体知を通じて(あるいは再発見する形で)獲得したのではなかろうか。よって日本におけるオステオパシーは「輸入されたもの」であると同時に、「日本の武術知によって再構成された手技」として日本に広まっていったのである、と大胆に考察してみたが、読者諸兄はいかがだろうか。
人を呪わば穴二つ
自分の主張を通さんがために「わら人形論法」を使っても、良いことは何一つない。確かに相手に勝つことはできるから、それなりの高揚感は味わえるだろう、が一方で周りからの評判は落ちることは明白だ。「丑の刻参り」と「わら人形論法」、どちらも共通項は「わら人形」という実体のない虚像を作り出し、一方では呪いの対象として、一方では言論を叩いて、という風に自分の正当性を誇示するのである。「人を呪わば穴二つ」の意味がじわりと染みてくる。
山﨑 徹(やまさき・とおる)

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