斎藤信次残日録 其の五十九
「昭和100年、カイロ130年に思うこと」

 今年は昭和100年にあたる。その7割以上を生きてきて、また、その半分ほどが昭和だったので、私は紛れもない昭和人ということになると思う。時は平成、令和と移り変わり、最近は古さの象徴のように言われる昭和だが、古いと言われようが老害と言われようが、素晴らしい思い出をたくさんつくってくれた昭和が大好きだ。その昭和100年から遡ること30年、カイロプラクティックがこの世に誕生した。その誕生日、18日に130回目のカイロ・デーを祝おうとD.C.諸氏が集うということで、私にもお誘いがあったので参加させていただこうと思っている。もし私が科学新聞社に入社していなかったら、たぶんカイロと出会うことはなかったろう。今頃、いい時代を過ごしてきたなぁと悦に入ることもなかったろう。これまでの人生、カイロのお陰でかなり充実したものにしてもらえたと思っている。もちろん入社しなければ何も始まらなかったので、科学新聞社にも大いなる感謝の念を抱いているが、カイロには「もし出会えていなかったら」と、何ものにも代えがたい感慨に浸ってしまう。

 入社して丸47年の月日が流れた。入社したての頃はカイロの出版物を出している会社とは知らず、週刊2紙の購読管理と発送をしていた。かかってくる電話を受けるようになって、はじめてカイロプラクティックというものを知った。それから5年ぐらいの間に、自分で望んだことでもあったが、その後30年以上のコンビを組むことになる、当時の池田社長から言われ、新聞の広告営業、休日にはカイロのイベントに引っ張り出され、ほんの数点しかない出版物の展示販売、社内に本づくりの専門家がいない中で見様見真似で出版を手掛け、締めは役所(当時の科学技術庁)の受託事業と、次から次に新しい仕事が回ってきた。しかし、「なんで私だけ」と不満に思うことはなかった。学生時代、麻雀、競馬とギャンブルにうつつを抜かし、後々まともな社会生活を営むことができるんだろうか、と不安も感じていたので、どんどん新しい経験をして、それをなんとかこなしていけたことに自信らしきものも芽生えてきた。

 そのうちビジネスともプライベートともつかない、広告主、カイロ関係者、役人たちと飲む機会が増え、いろんな人たちとの輪がどんどん広がっていった。そうなると自ずと、この会社に骨を埋めることになるんだな、と確信に近いものを感じるようになっていた。そうして、間もなくやってくるバブルのお陰で、やることなすことが次々と好結果を生み、中でもカイロは図抜けた成果をもたらしてくれた。その頃になると、日本の大概のカイロ団体のお歴々、医療器屋さんたちとの付き合いが親密になっていて、彼らに「こういう新聞をつくりたい」と広告のお願いをし、まずは資金の確保をしてから、会社にあった手書きの2万を超えるリスト宛に、無料の専門紙「カイロ-ジャーナル」を創刊し送り始めた。入社して干支がひと回りした1989年のことである。これがまた当たって、さらに上手く回るようになった。新刊を出せば売れ、イベントをすれば人が集まる。各団体の紹介、日米講師のセミナー、米国カイロ視察・研修ツアー、カイロ連設立、カイロ・整体等無資格療術業者撲滅総決起集会、日米でのカイロ百年祭、WFC世界大会とネタに不自由することはなく、何を取り上げるか選択に困るほどであった。その成果を私がやりましたと言いたいところだが、今思えば、その頃は誰がやっても同じような結果を出すことができたと思う。

 しかし、やがてバブルは崩壊し社会全体の景気が悪くなり、まず頼みの広告収入が思うように上がらなくなった。自社出版物の最高の広告媒体だったので、なんとか発行し続けようと思ったが、その出版物の売上も落ち最大の経費、発送費を賄うことができなくなり、とうとう2018(平成30)年、令和の声を聴くことなく紙媒体の発行を断念した。なんとか30年と思ったが29年での終焉となった。その後、業界は益々低迷の一途を辿り、各団体の会員は減り学校もなくなっていった。一体どうしたら往年の輝きを取り戻せるのか、自問してもそうそう妙案が浮かぶはずもなく、さらに追い打ちをかけるようにコロナ以降、自粛ムードで対面セミナーも打つことができなくなり、いち早くオンラインに切り替えたので、今のところはなんとかやれているが、何か新しいことをやらないと、とてもこのまま推移するとは思えない。当時、対面セミナーに参加してくださっていた人たちは、一体どこに行ってしまったんだろう?

 だが、そんな愚痴を言ってても始まらない。手をこまねいて何もしないわけにはいかない。何もしなければ何も起きない。昨年、能登半島の災害義援を考え15年ぶりにカイロ・フェスティバルを開催した。図らずも科学新聞社のカイロ事業開始55年、ジャーナル創刊35年の節目の年だった。期待したほどの規模にはならなかったが、開催して良かったと思っている。そこで今年も、生誕130年目のカイロ・デーから10日ほどあと、9月27、28日に第3回のカイロ・フェスティバルを開催する。テーマは「昨日、今日、明日」、とにかくやり続けようと思っている。今回も錚々たる講師の揃い踏みと自負している。時間の都合がつかず、丸2日、いや丸1日参加できないという方も、あの先生の講義を聴きたい、あの先生に会いたい、懇親会で懐かしい面々と酒を酌み交わしたいなど、その時間割のところだけでも参加してほしい。そんな相談なら喜んで受けたい。

 とにかく、残された人生、目の前の様々なものに興味を持ち、刺激を受け続け、これまでやってきたことを信じて、乗り切っていきたいと思っている。古き良き時代、昭和の行け行けどんどん、ネバー・ギブアップ精神で!

第3回カイロプラクティック・フェスティバル
「昨日、今日、明日」9月27、28日開催!

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斎藤 信次(さいとう しんじ)
2016年6月、科学新聞社の代表取締役社長を勇退、顧問に就任今後はこれまでの経験を活かし、同社の出版事業をサポートするかたわら、広く手技療法界全体の活性化を目指し、独自の活動を展開していく予定幅広い人脈を持ち、また人情味にも厚く、業界の良き相談相手であったことから、今後ますますの出番が予想される力強い助っ人

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