代替療法の世界 第27回 「十人十色」ウェビナーの寸評
コロナ禍で、ウェビナーも増えてきた。それに伴い、カイロジャーナルが主催するウェビナーも多彩な顔触れになった。奇しくもすべてのウェビナーに参加している者として、不肖、山﨑が僭越ながら寸評させていただく。
岡井健「マイプラクティス」
「ピンチはチャンス」「絵に描いた餅」岡井氏のセミナーの根底に流れるのは、この2つのキーワードである。コロナ禍において、これらのキーワードは治療家を支えてくれるものになる。ともに具体例を示して腑に落ちる講義をしてくれる。また岡井氏のセミナーは、殻付きピーナッツのように一粒で二度美味しい。その理由はテクニック論と経営論が学べるから。特にテクニックにおいては、ウェビナーでは伝わりにくい実技の部分を、工夫を凝らしてわかりやすく解説している。岡井氏の目線で動画を撮影し、全体像をリンクさせることで実技をイメージしやすくしている。さすが岡井健である。
※セミナーはすでに終了しています
和泉和典「カイロプラクターのための栄養学」
まず隗(かい)より始めよ。食べることは生きること。生きることは食べること。この意味が科学的に理解できるようになる。この科学的というのがポイントで、患者の症状に対して予後を的確に把握することができるのだ。冒頭の「隗より始めよ」(言い出した人から始めなさい)は、治療家自身が徹底した食の節制をしないと、栄養指導そのものが成り立たないということである。DDパーマーが、サブラクセイションの原因の一つであると言った「毒」を、現代の言葉に置き換えると「栄養」になる。栄養学の効果はパワフルだが、それを臨床に落とし込むには、治療家の覚悟が肝要になる。実際、和泉氏の覚悟は半端ないものがある。
辻本善光「徒手療法家のための基礎講座」
基礎医学、基礎運動学がいかに臨床につながるのか? 解剖学者が最高の治療家か? そうではない。臨床に、いかに整形外科学テストやカパンジーを落とし込めるか? が問題である。辻本氏を表現すると、1に検査、2に検査、3、4がなくて5に検査となろうか。結果を出すには患者の状態を把握すること。把握したならば、その状態の分析になる。分析の結果、処方されるものが治療になる。この一連の流れ、名人、上手と呼ばれた治療家は皆やっている。名人、上手になりたい人は、検査の重要性を疎かにしては決してなれない。検査法は科学に立脚している。そして科学とは再現性と言い換えることもできる。行き当たりばったりの治療から、おさらばしたければ基礎をやることだ。
丸山正好「局在神経学講座『神経局在診断を読む』」
神経学の深淵を伝える伝道師。丸山氏とは増田ゼミからの旧知の間柄である。当時の丸山氏を知る者として言わせてもらうと、丸山氏は様々な制約のもとで試行錯誤しながら、現在の丸山流神経学を手に入れた。彼は受講生にいつも言う「たくさん悩んで、いろいろ試してやってください。正解は一つではありませんよ」と。「簡単に手に入れられるものでは、身につきませんよ」と続く。丸山氏の神経学も、基礎の重要性を説く。カイロプラクティック神経学では説明もされないような基礎の基礎をやるのである。それは教科書に載っている内容と言ってしまえばそれまでだが、その内容を機能検査に置き換えて解釈しなければ意味がないのである。教科書の行間を読む作業とでも言い換えようか。おなじみの神経局在診断(文光堂刊)がナビゲーションであり、灯台になる。
4人に共通しているのは、臨床を楽しんでいるということである。岡井氏はテクニックの新しい工夫を思いつくと、実際の臨床で試して、セミナーでそれを惜しげもなく披露する。和泉氏は栄養学の可能性を見せる。辻本氏は基礎の検査を細分化して教える。丸山氏は神経学の醍醐味を基礎から叩き込んでくれる。十人十色とは言うけれど、治療家というカテゴリーでくくってもこれだけ毛色が違う。「これは」と思うセミナーと感じれば、是非とも受講されたし。行動に移さなければ岡井氏の言う「絵に描いた餅」であり、何も結果は生まない。
山﨑 徹(やまさき・とおる)
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