代替療法の世界 第21回 「三本の矢」辻本善光 Webセミナー【徒手療法家のための基礎講座】に参加して

一本の矢は折れるが三本では?

戦国時代の武将である毛利元就の教えに三本の矢がある。これは一本の矢だとたやすく折れるが、三本まとまると容易には折れない。それをもって結びつきの強さ、結束することの重要性を諭したという。毛利家に伝わるこの三本の矢の教えにより、三兄弟の結束は強く、毛利家、吉川家、小早川家の結びつきは、乱世の下剋上に見られる裏切りもなく幕末まで安泰し、明治維新の一翼を担うことになる。戦国時代は群雄割拠とも言い換えることができる。こうした状況は現在の治療家を取り巻く環境と類似するように思う。個人経営の治療家は一国一城の主であり、経営手腕は殿様である治療家自身にかかってくるのであるから。

一本目の矢とは何か?

では治療家を支える三本の矢とは何であろうか? 辻本氏はカイロプラクターであるが、その教えにはカイロプラクティックに限らず、その他の治療法にも応用が利く。三本の矢とはロジカル、クリティカル、ラテラル・シンキングのことである。こと言葉だけではわかりにくいので、それぞれの概略を示す。まずはロジカル・シンキング、これは論理的思考のことであり、主張と結論がつながっていることを言う。三段論法がその最たるものである。
1. 人間は死ぬ
2. 私は人間だ
3. だから私も死ぬ
これが一本目の矢、論理的な思考であるロジカル・シンキングだ。しかし前提の置き方はロジカル・シンキングでは教えてくれないのである。これは治療家にとって由々しき問題だ。治療の前提になる事柄が間違っていれば、治療も的外れになるのであるから。例えば腰痛の患者のL3が原因と思って検査しても、本当はL3ではないかも知れないのである。そうした思考に陥れば、せっかくの検査も無意味なものになる。

二の矢、三の矢の重要性

一本目の矢であるロジカル・シンキングを生かすには、二本目の矢であるクリティカル・シンキングが必要だ。クリティカル・シンキングには3つの基本があり、
1. 目的は何か
2. 問い続ける
3. 自他の思考の癖を考慮する
の3つを常に考えることが必要になる。
患者に対して何を目的としてやっているのか? ということを常に忘れないこと。問い続けることは常に思考を止めないことと同義である。思考の癖は厄介であるから、常にバイアスをかけて診てしまうことを意識しておくことだ。平たく言うと、治療家は皆それぞれ思考の癖や思い込みがあるから、色眼鏡で患者を診てしまうことがある。「それを忘れるな」ということだ。これが二の矢である批判的思考(クリティカル・シンキング)である。
三の矢である水平思考(ラテラル・シンキング)は端的に言うと解決を生む。前提条件を徹底的に疑うことで、多角的な視点で問題解決につながるのである。一の矢である論理的思考(ロジカル・シンキング)を組み合わせることで、幅広い思考をすることができる。治療家にとっての問題とは何であろうか? それは患者を治せるか、治せないかになる。つまり患者の納得するサービスを提供できるかどうか?が問われるのである。

昨今の流行りに抗うには

治せるようになるにはどうしたらいいのか? SNSやWebの広告だと、「○○をやれば治る」「○○の症状がたった〇〇秒で解消」とか、「○○の操作で○○の効果がある」など。心をくすぐられるキャッチコピーが並ぶ。セミナーを開催するのも商売だから、入り口はキャッチーなものが当然ながらウケはいいだろう。入り口はそれでも良いと思うが、出口はどこにあるのか?
辻本氏は治せない治療家を分析する。それによれば、キーワードは特定診断と除外診断である。治せない治療家は除外診断を無視している。つまり陰性所見を大事にしていないのだ。症状の「ある」「なし」は確かに大事な要素であろう。しかしながら、そうした陽性所見ばかりに目を取られていれば、見逃しも多くなるのである。なぜ、その症状が出てくるのか? どうやったら、その症状が出るのか? この視点を持つことが重要なことである。プロとして息の長い治療家としてやっていくには、何が必要なのか? こうしたクリティカル・シンキング(批判的思考)を持ち続けることが肝要だろう。

生き残るには武器(技術)の優劣より考え方

毛利家の三本の矢の教えは生き残りの本質を伝える。種子島と呼ばれた鉄砲が伝来し、戦闘が近代化していく中で幕末まで生き残ったのは、武器の優劣ではなく、つながりの強さであった。これと同じく先に紹介した3つの考え方は、どんな状況になっても利用できるし、治療家にとって武器である治療方法が、どんなものであれ応用が効く。三本の矢はどれもが独立して存在しているわけではなく三本で一つなのである。つまり相互に関連しており、どれが欠けても徒手療法における分析、診断はできないのである。

すべてに絶対はないから考えろ

シリーズの1回目は概論としての治療に対しての重要な思考を示した。辻本氏は「徒手検査は、感度、特異度、どちらかに偏っている、だからいろいろな検査を必要に応じて行わなければならない」と結ぶ。徒手療法を行う上での心構えは以上である。
コロナ禍の今、感度、特異度に振り回されている人も大勢いる。感度、特異度を考慮すると検査に絶対はない。だからこそ三本の矢の重要性が見えてくるではないか。現実に起こっていることをそれに当てはめてみれば、自ずと答えは見えてくるし、振り回されることもないだろう。一方通行の情報を鵜呑みにするだけでなく、考えるのを止めてはいけないのだ。
子供の頃、よく「テレビばかり視てると馬鹿になるよ」と言われたが、情報を受け取るだけでなく吟味しないといけない、ということを含んでいたのだろう。今になってその意味がよくわかる。


山﨑 徹(やまさき・とおる)

はやま接骨院(高知県高岡郡)院長
・看護師
・柔道整復師
全日本オステオパシー協会(AJOA)京都支部長
シオカワスクールオブ・カイロプラクティック ガンステッド学部卒NAET公認施術者
 
看護師、柔整師の資格を有する傍ら、カイロプラクティックとの出会いからシオカワでガンステッドを学び、21世紀間際にスタートした科学新聞社主催の「増田ゼミ」 で増田裕氏(D.C.,D.A.C.N.B.)と出会ったことから、以後、氏の追っかけを自任し 神経学、NAETを学ぶ。現在は専らオステオパシーを学び実践しているが、これまでに 身につけた幅広い知識と独特の切り口でファンも多く、カイロ-ジャーナル紙から引き続き連載をお願いしている。

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