代替療法の世界 第13回「なぞなぞ」
「一番古くて、一番新しい話ってなぁ~んだ?」
古くて新しい話とは一体何であろうか? ヒントはカイロプラクティックとオステオパシーにある
オステオパシーとカイロプラクティック、病変の呼び方が違えど!
オステオパシーでは病変のことをソマティック・ディスファンクション(SD)と言い、カイロプラクティックではサブラクセイションと呼ぶ。カイロプラクティック、オステオパシーにはそれぞれの定義があり、病変の名前も違う。両者にイデオロギーの違いはあるが、どちらにせよ病変に対する呼び名である。具体的には、
ガンステッドのリスティングPRSはオステオパシーのFRS-L、同じくPRS-INFはERS-Lというリスティングを表す。またガンステッドのPRIはオステオパシーのNSRRLと同じ意味である。変位の呼び名はそれぞれ違うが、同じ機能障害を示しているに過ぎない。診断ができれば、治療はそれぞれの立場で行うことができる。
自然治癒力、イネイトとディバイン
両者に共通するのは自然治癒力の存在だ。カイロプラクティックではイネイトと呼び、オステオパシーではディバインと呼ぶ。どちらも自然治癒力のことを表している。自然の力は自然治癒力と同義である。そして自然は助けを必要としない。であるならば、なぜサブラクセイションやSDが自然に解消されないのか? なぜ、カイロプラクターやオステオパスによって人為的に除去されなければ、サブラクセイションやSDが解消されないのであろうか? 自然に解消されるはずなのに解消されない。禅問答のように矛盾している。あるベテランのカイロプラクターは「サブラクセイションやSDは自然に適応した結果なのではないか」と言う。「だから、自然治癒力はそれらを治すことなく放置しているのだ」と。そう言えば同じようなことを、ジェラスDOの右腕であるグレッグDOもバイオダイナミクスのセミナーで言及していた。「健全がSDをつくる」と。ここで言う健全とは自然治癒力のことであり、病変とは自然がつくるものである。病変をつくることにより、より重篤な状態になることを阻止しているとも言える。グレッグDOは「大きなパラダイムシフトが必要になる」とも言っていた。つまり、病変にアプローチするのではなくて、健全にアプローチしなくてはいけないということだ。
外傷とは物理的、自己暗示とは精神的、毒は化学的ストレス
また、なぜサブラクセイションやSDができるのか。これも重要な命題だ。オステオパシーの祖、スティル博士のオートバイオグラフィーによれば、「すべての症状の原因は、体内の循環を司る神経の機能の欠損、もしくは過剰な活性化に求めることができる」との記述がある。この神経機能の欠損、過剰な活性化はDDパーマーの考えによく似ている。増田DCの翻訳した「エッセンシャル カイロプラクティック哲学」(科学新聞社刊、絶版)によれば、カイロプラクティックの創始者、DDパーマーによるサブラクセイションの定義は、トーンの異常によるものであるとされている。また彼はサブラクセイションの原因として外傷、自己暗示、毒を挙げている。これらを平たく言うと、外傷とは物理的ストレス、自己暗示とは精神的ストレス、毒は化学的ストレスになる。3つのカテゴリーに共通するのは、それぞれのストレスが神経系を介して筋肉に影響を与え、関節の機能を障害する。立派なサブラクセイションやSDのでき上がりだ。
原因の原因
冒頭で触れた「なぞなぞ」の答えは、神話(新話)である。神話とは古典とも言える。オステオパシーであればスティル博士が言う「病気を探すな」とは「健全にアプローチ」することになり、カイロプラクティックであれば「トーンに基づく治療」となる。DDパーマーが定義した「原因の原因」の考え方は古いが、実は一番新しい知見なのである。さてDDの言った「トーンの異常が病変を起こす」とするならば、サブラクセイションにしろSDにしても結果であって原因ではない。カイロプラクターが行うアジャストメントによりサブラクセイションが取り除かれても、結果に対処しているだけ。加えてオステオパスもSDを処理したところで、これも結果に対処しているだけなのだ。
「オステオパシーとは骨の性質を利用した治療法である」
無論、原因に対処しなければ、結果であるサブラクセイションやSDは永続的には処理されない。しかしながら、原因の原因に遡及するやり方は星の数ほどの中から原因を見つけ出さないといけない。現実的には難しいだろう。スティル博士の「オステオパシーとは骨の性質を利用した治療法である」という定義がある。それに則れば、病変への入り口として骨(関節)を使い、筋肉に影響を与え、神経系を賦活させるのである。サブラクセイションやSDを起こしている逆方向に対してのアプローチ方法である。
原因と結果
治療方法を原因、結果の因果律で読み解くと、西洋医学で処方される対症療法を小馬鹿にはできまい。なぜなら、代替療法が処理しているものも原因ではなく結果なのだから。
山﨑 徹(やまさき・とおる)
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