代替療法の世界 第3回「初めての日本人DOは誰?」

根本駒吉という興味深い人物。明治期に東京と秋田で開業か

全日本オステオパシー協会(AJOA)にカークスビル・オステオパシー医科大学(現ATSU/KCOM)から数十年前に託された資料の中に、K・ネモトMDに関するものがある。ATスティルから直接オステオパシーを学んだとされている。彼は日本でどのように歩んだのか? 非公式ながらAJOAに調査依頼があったようである。その時渡されたと思われる資料の翻訳原文が残っている。

 

K・根本MD(出典:AJOA資料室)

「Drネモトの出身地は日本の秋田である。秋田の高校を卒業した後、東京医科大学に入学し、5年のコースを終え、1892年に卒業した。その後、東京シラ(?)(Shila Tokio)の医学校に入学し、1年間勉強した。これは日本の皇后が創立した学校である。さらに、彼は東京の本郷にある日本の帝国大学で1年間(大学院コース)勉強した。その後彼は日本政府に雇用され、東京刑務所病院で4年間働いた。彼は刑務所の改善を目的に設立された協会の会員であり、日本政府から合衆国の刑務所事情を調査するよう任命された。当地に滞在中、彼はラッシュ医科大学(Rush Medical College)の大学院コースを受講するように決めていたが、オステオパシーの科学が彼をとりこにした。そこで、彼はオステオパシーを勉強して日本に紹介しようと決心するに至った。1900年9月、彼は米国オステオパシー学校(ASO)に入学する予定であり、徹底的な調査と真剣な勉強を通して大変親切に彼を受け入れてくれた当学院に恩返しをするよう念願している」。

以上がK・ネモトに関する資料である(ほぼ原文のまま)。今回は趣向を変えて探偵のように考察してみる。

秋田藩出身、東京で勉学

彼の本名は根本駒吉。イニシャルKは駒吉のKである。秋田藩佐竹氏20万石の家臣、秋田士族として廃藩置県の前年の明治3年(1870年)に生まれた。生年月日が分かれば、それを上記の情報に当てはめていくだけ

17歳で東京医科大学に入学とあるが、その前身である東京医学講習所が出来たのが大正5年であるので学校はまだ無い。明治25年に5年のコースを修了するのは不可能である。そして後述する日本医科大学より分裂して出来た学校が東京医科大学である。東京シラとは昭憲皇太后(明治天皇の皇后・美子様)が設立した学校のことであるから慈恵大学のことであろう。

つまり彼は正式には医学校を卒業していない。5年のコースというのは医術開業試験(以下試験と記す)の予備校である済生学舎(後の日本医科大学)のことであり、その後、もうひとつの予備校である成医会講習所(後の慈恵大学)にて学んだと思われる。そして明治31年9月に28歳で合格している。試験は前期3年後期7年と言われるほどの難関であり、受験資格に関しては1年半の修学で可能であった。当時の医制度は現在と全く違っており、学校に行かなくても試験に受かりさえすれば医師として活動できた。立身出世の方法として、合格を目指すものは医師の書生になり医学を修めた。また試験のために予備校に通うものも多かった。野口英世などもこの方法で21歳という若さで医師になっている。

 

医師資格取得後留学か?

そして23歳で日本政府に雇用され刑務所病院で働いたとあるが、当時の職員名簿に彼の名は無い。27歳で退官し翌年に試験合格。その後30歳でASO(現ATSU/KCOM)に入学予定とある。

残念ながら根本駒吉MDはASOにて学び、卒業している可能性は限りなく低い。なぜなら当時の医師名簿には4つの異なる称号があった。それに照らし合わせても事実と違う。詳しく述べると、海外の医学校卒にはドクトル、日本の医学校卒には医学校、試験合格組には免許、専門学校卒には得業士という称号を日本政府は与えていた。彼がASOを卒業していれば肩書はドクトルであるはずだが、彼の称号は免許である。またASOの卒業名簿にも彼の名を見つけることは出来なかった。

帰国後の消息は謎

彼が卒業していないことは証明できたのであるが、ASOにてオステオパシーを学んで帰国している可能性は完全に否定はできない。帰国後は秋田と東京で開業していたようである。その後の根本MDの消息はつかめていない。また彼はオステオパシーに関する文献を残していないことと、個人情報保護の壁があるため追跡調査はここまでである。

ひとつ言えることは米国からの資料も十分に検証がされるべきということだ。そうすることで新たな発見をすることが出来た。誰が初めての日本人DOなのか? 興味は尽きないが、少なくとも根本MDではなさそうである。


山﨑 徹(やまさき・とおる)

はやま接骨院(高知県高岡郡)院長
・看護師
・柔道整復師
全日本オステオパシー協会(AJOA)京都支部長
シオカワスクールオブ・カイロプラクティック ガンステッド学部卒NAET公認施術者
 
看護師、柔整師の資格を有する傍ら、カイロプラクティックとの出会いからシオカワでガンステッドを学び、21世紀間際にスタートした科学新聞社主催の「増田ゼミ」 で増田裕氏(D.C.,D.A.C.N.B.)と出会ったことから、以後、氏の追っかけを自任し 神経学、NAETを学ぶ。現在は専らオステオパシーを学び実践しているが、これまでに 身につけた幅広い知識と独特の切り口でファンも多く、カイロ-ジャーナル紙から引き続き連載をお願いしている。

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