「イネイト・インテリジェンスとは何か?」第25回
イネイト・インテリジェンスの甦生(10)
(3)散逸構造4-1
『比喩。──彼らのもとにあっては、一切の星が循環軌道をつくって動いているというような思想家は、最も深い思想家ではない。自己の内奥を覗き見ること、あたかも巨大な宇宙を覗き込むごとくである者、そして自己の内奥に銀河を抱いている者、こういう者はまた、一切の銀河がどんなに不規則なものであるかを知っている。こういう者たちは、現存在の混沌と迷宮(ラビリンス)の奥深くまで我々を導いてゆく』(ニーチェ著「悦ばしき知識 第322番」 panietzsche氏より)
「散逸構造」とは、熱力学的に平衡でない状態にある開放系構造を指す。すなわち、エネルギーが散逸していく流れの中で発生する、定常的な動態構造である。前述のようにイリヤ・プリゴジンが提唱し、これによりノーベル賞を受賞した。
外界とのエネルギーや物質の授受が可能な系を開放系と言い、外界からエネルギーや物質を取り込んで、別の形でそれを放出(散逸)することで安定性を保っている系=システムが、「非平衡開放系」である。「非平衡開放系」は、常態的なエネルギーの入出力により、その構造状態を維持するシステムであり、散逸構造と同義である。外部に対する入出力がなくなれば、構造状態の維持機能は停止し、システム構造は崩壊する。
例えばガスバーナーの炎の形は、酸素と可燃ガスの燃焼により形成され、この燃焼という反応によってエネルギーが散逸していく流れの中で、特定の炎の形を常に保っている。炎の形が一定である場合、可燃ガスと酸素の供給という物質の交換が安定しており、バーナーの火口の形も変化していない。つまり安定的な入出力と環境形状により、炎の構造は一定に保たれる。可燃ガスあるいは酸素の供給が停止すれば、炎という非平衡開放系の構造は消滅する。
「散逸」とは、物理学において運動などによるエネルギーが、抵抗力によって熱エネルギーなどに不可逆的に変化する過程を言い、熱力学においては自由エネルギーの減少に相当する。例えば運動エネルギーが摩擦、粘性抵抗や乱流によって、熱に変化するなどのことである。このエネルギーの散逸によって、空間のおける物質の対称性(不変性)が自発的に破れ、構造が形成されることで「散逸構造」が生まれる。エネルギーを散逸しながら、非対称性=変動性のある構造を自発的に維持する状態は、「自発的対称性の破れ」によって生じると言える。
いわゆる平衡熱力学では、ある一定の温度、圧力のもとでの物質の熱力学的性質が調べられ、時間的に変化がなく常に一定である場合のことを考える。熱力学的平衡状態とは、系と外部との間で力の釣合いが実現している力学的平衡、熱移動の停止した熱平衡、物質の移動が停止して化学変化が進行していない化学平衡、これらが一定となり3つの平衡が実現した、現実には存在しない理論上の仮想状態である。なぜなら、実際には物質内に時間の推移を伴う温度差や濃度差が必ずあるので、その差に応じて熱流や拡散流など熱伝導の違いが生じ、厳密には非平衡状態となる。しかし、これをノイズとして捉えて大雑把に考えるのが、平衡熱力学である。
これに対して、実際の現象をなるべくそのまま捉えようとするものが、非平衡熱力学である。温度差が小さい時は、熱流の大きさなどは温度差などに比例するため、これらの関係を線形非平衡系と言う。しかしながら、温度差などが大きくなると単純な比例関係が成り立たなくなり、系の内部での熱流の大きさや強弱などがあちこちで不規則となり、熱流が温度差に比例しなくなる。これを非線形非平衡系と言う。
例えば容器に入れた水を下から熱すると、温度差が小さい時の熱伝導状態では、熱流は温度差に比例し水自体は静止している。しかし温度が上がると、ある温度差以上で対流運動が生じ、マクロな流体運動が自発的に生じる。この流体運動は温度差に比例せず、その時々のエネルギーの入出力により、刹那に変化する秩序だった動きを持つ構造であるところの、非平衡状態となる。これが非線形非平衡系における散逸構造である。
温度の異なる2つの物体(例えば、冷水と温水)を接触させると熱が移動して、時間経過とともに全体として温度差がなくなる。この温度差が完全になくなる状態が熱平衡で、エントロピーは最大となる。しかしその過程においては、外部と内部の温度や圧力などが一定にならない状態、つまり物質やエネルギーが常時流動的に変化する非平衡状態が生じる。換言すれば、正のエントロピーの増加(乱雑化)に対して、エントロピー増大に逆行する負のエントロピー(秩序化)を取り入れられることで、非平衡を保つとも言える。このようにして生まれる構造が、「散逸構造」である。散逸構造は熱平衡構造よりも多様性に富み、自然界に現れる多様性を理解する上で重要であるとされる。もちろん人体も散逸構造であるが、人体のような複雑なものでなくても散逸構造は形成される。
「散逸構造」では単純な熱力学系において、外見的には連続して見える流体などの物質状態も、物質内部の粒子的構造は激しい熱運動をしており、そこで生じる微視的ミクロな熱的「ゆらぎ=不均一性」が集積していき、エネルギーの入出力による非平衡状態が、一定のレベルに達した時に秩序が生成されて、巨視的マクロな構造を発現する。プリゴジンは「自発的な対称性の破れ」も、この時に発生すると解釈した。また、こうした散逸構造の出現しているシステムにおいて、大局的な定常状態が大きくは変わらないのは、正のエントロピーの生成量と負のエントロピーの流入量が互いに打ち消し合って、システムのエントロピーがある程度一定の値となることで、散逸構造の構造状態が安定化するためであるとした。
「ゆらぎ」とは、ある範囲内での値の不確定性を意味する。つまり、ミクロレベルの不規則な変動が非平衡状態を生み出している。この変動が拡大して取り留めもなく状態になるどころか、一定範囲内での不均一性が同期・同調して調和し、秩序が形成され多様で複雑な構造を形づくるわけである。これはカオス理論におけるストレンジ・アトラクターの形成に似ている。これが現実的にどのような構造かと言うと、下記HPにあるようなベナール対流で生じるセルに代表される。
https://baku89.com/tips/benard-cell
https://ja.wikipedia.org/wiki/ベナール・セル
無機的な散逸構造は、動画で見るとこのようなものとなり、エネルギーの入出力による非平衡状態が、有機的な構造を生む。このベナール対流は、味噌汁を煮ていても起こる。これはプリゴジンにより提唱された「散逸構造」のうち、最もよく知られた例であり、ベナール・セルは一旦できると安定し、重力に対して垂直に時計回りと反時計回りのものが交互に並ぶ。
地球上で運動するものは、すべからく重力の影響を受ける。重力に対して上手く適応できることで、状態は安定的に維持される。人体も同様である。セルの配列はミクロな初期条件の違いによって、その後のマクロな状態は大きく異なる。これはカオス理論におけるバタフライ効果の例でもある。このような自発的構造パターン形成を、「自己組織化」と呼ぶ。ベナール・セルが分子運動によって形成されるように、例えば人体の歩行なども、自己組織化された運動構造状態と捉えることもできる。入出力のある非平衡構造は、常に入力による動態として出力運動することで維持されると言える。
「自己組織化」とは、その構造の全体を見る能力を持っていない構成要素としての物質や個体、つまり全体に対してなんらコントロールする術を持たない構成要素が、それぞれの自律的な振る舞いの結果として、「秩序を持った大きな構造=組織」をつくり出す現象のことで、自発的秩序形成とも言い、「ゆらぎ」を通して起こると考えられている。まさに盲目的な振る舞いが秩序を生んでいる。先のガスバーナーの火の形も、非平衡開放系がエネルギーの散逸を通して、系=システム自体が自分で自分を形づくっているわけで、これを自己組織化のもとに発生する定常的な秩序構造と言ったりする。その意味では、生殖による胚発生なども、極めて高度な自己組織化の結果と考えられている。
自己組織化などの秩序形成現象は、物質やエネルギーが流動変化したりすることで生じるが、特に水が氷になるような相転移などが生じる状態の時、より多様に活発に見られる。いわゆる相転移で水が氷になる時、外部からの温度の入出力の強弱で、みぞれ状態のまま凍ったり水になったりを繰り返すことがある。この状態も「ゆらぎ」であり、どちらの相への変化も可能であるため、この状態は極めて不安定であるが、言い換えれば自由度が高い。
このような状態は「エッジ・オブ・カオス(edge of chaos)=カオスの縁」とも呼ばれ、クリストファー・ラングトンにより発見され、ノーマン・パッカードにより名付けられたもので、いわゆるセル・オートマトンにおける概念の一つである。「エッジ・オブ・カオス」とは、振る舞いが一定の予測可能な比例的秩序から、予測不可能なカオスへ移るようなシステムにおいて、秩序とカオスの境界に位置する領域であり、ランダムなカオス的・動的振る舞いと、安定した秩序的・静的振る舞いの境界に存在するもので、生命の発生や進化などに関係しているのではないかと言われ、後述する「複雑適応系」の研究で着目されている。
セル・オートマトンとは、ピクセルドットのような格子状のセルと単純な規則による離散的計算モデルであり、非常に単純化されたモデルであるが、生命現象、結晶の成長、乱流といった複雑な自然現象を模したもので、人工生命とも呼ばれ驚くほどに変化に富んだ結果を与えてくれる。現在では、3DCG/ポリゴンに進化している。また、化学反応にみられる散逸構造に、ベロウソフ・ジャボチンスキー反応(BZ反応)というものがあるが、セル・オートマトンを使ってシミュレートできる。また、神経細胞の挙動をシミュレートでき、認知や学習といった複雑な挙動もセル・オートマトンでシミュレートできる。線維芽細胞の変化もセル・オートマトンと似た挙動を示す。
人工生命やそれによく似た人工知能も、取り敢えず生命の形式を数値シミュレーションで模倣してみるところから始まっており、人工生命であるセル・オートマトンも、人工知能であるニューラル・ネットワークも、非常に単純な規則で記述できる。特にニューラル・ネットワークはディープ・ラーニングの発展により、現在のAIとして非常に高度に発達してきている。
まるでアートのような美しい模様…「振動(BZ)反応」【美しすぎる化学】
The Belousov-Zhabotinsky Oscillating Reaction
散逸構造は鳴門の渦潮のように、ある程度の潮力が入力された時、そのエネルギーを放出しながら渦潮の構造が維持されるわけで、この時、自然界で一定のエネルギーが継続的に入力されることはあり得ないので、エネルギーの強弱があって、ゆらいでいるのが自然な状態と言える。この「ゆらぎ」の自由度の高さが、多様性を生じる原因ではないかと考えられており、通常「ゆらぎ」というものは、システム内の下層で起こっているのが普通であるので、システムの上層に行くに従って、「ゆらぎ」が減衰する場合と増幅する場合があるとも言われている。これが「エッジ・オブ・カオス」の状態であるとも言える。その意味では、人間の重心もゆらいでいるから自由度が高くなると言えよう。
「ゆらぎ」が増幅すると速く動け、減衰すると急に止まったり、方向転換できるとかいう感じであろうか。このようなエッジ・オブ・カオス的なゆらぎの構造は、人体においても常にあらゆる体内システムに含まれているものだと考えられ、ゆらぎが消失することが、カオスで言うところのアトラクターの軌道の固着と考えられる。重心で言えば、運動の都合上、常に変位し続ける重心が、なんらかの固着されてしまうような感じであろう。武術的に言えば「居つく」ということに近い。
このように散逸構造は、動きの中で生まれる構造態である。換言すれば、構造内部の動きの中にしか、その構造の本質はない。散逸構造が定常的に作動するということは、入出力量の変化に対して非平衡開放系であるシステムが安定して作動しているということである。要するに、動きに均一性がある。これは動きが定量的であるではなく、動きの質が調和的ということである。
人体が散逸構造であり、常に動きがあるとすれば、我々の視ているものは動きの量ではなく、動きの質でなければならない。なぜなら、我々の見ている人体システムは破綻しているのではなく、その作動に齟齬が生じているだけであり、現代医学的な意味での障害があり、それを治療するわけではない。例えばリスティングを出す場合に、物理量としての関節可動域を測定したところで、その関節の可動域自体がなくなっているわけではない。可動域の低下もないかもしれないが、動きの質が異なっている。その場合、端的には動きにくくなっているだけである。この点に関しては、次回に述べたいと思う。
木村 功(きむら・いさお)
・柔道整復師
・シオカワスクール オブ カイロプラクティック卒(6期生)
・一般社団法人 日本カイロプラクティック徒手医学会(JSCC) 副会長兼事務局長
・マニュアルメディスン研究会 会員
・カイロプラクティック制度化推進会議 会員
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