「イネイト・インテリジェンスとは何か?」第23回
イネイト・インテリジェンスの甦生(9)

(3)散逸構造3

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」
 これは方丈記の有名な冒頭であるが、仏教の「無常」を表している。

 エントロピー増大則は、まさしく「無常」である。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」は、まさに「時間の矢」と同義であり、流れの中に様々な変動があっても大局的には一定の時間的な流れを持ち、俯瞰的には定常状態に見える。

 それは高いところから低いところへと移る、緩やかなエントロピー増大を示している。そして、そこに「うたかた(=生命)」が、滅しては生じていく。水の流れの力から生じる、ある秩序が消えては形成される。これこそが「散逸構造」である。
 

 「無常」は古代ギリシアの哲学者、ヘラクレイトスの万物流転・パンタレイと、ある意味同義であり、「同じ川に二度入ることはできない(人々が同じ川に入ったとしても、常に違う水が流れている)」ことと同じである。それはテセウスの船のパラドックスのように、過去のそれと現在のそれは「同じもの」だと言えるのか、というところにもつながる。

 ガラスのコップがあるとする。その状態ではエントロピーは低いが、このコップが粉々に割れてしまえば、エントロピーは増大する。その破片を集めて溶かし、再び同じ形のコップにすれば、コップにおけるエントロピー=乱雑さは減少する。ここで負のエントピーが発生するが、溶かして成形することでエネルギーが放出され、全体的に見ればエントロピーは増大している。

 このとき、割れる前のコップと再製されたコップは、エントロピーの増大=時間の不可逆性により、同じものだとは言えない。しかし、我々にはその違いがわからないかもしれない。例えば、それはお爺さんが使っていたコップだというように、恣意的に同じものだと言い張れるかもしれない。それは、我々の肉体でも同じことが言える。
 

 前述のカオスは、あくまで数学的・抽象的な概念であるが、散逸構造は現実の事象・現象と言える。散逸構造はロシア出身のベルギーの化学者・物理学者、イリヤ・プリゴジンによって提唱され、彼はこの散逸構造の理論で1977年のノーベル化学賞を受賞している。

 プリゴジンの言う「散逸構造」とは、エントロピーが増大して熱死に向かう全体性の中に存在する、非平衡開放系である。つまり、無秩序化へと進む過程において、何らかのエネルギーの入出力、即ちエネルギーの散逸に伴って発生する開放系の秩序構造が、動的(=非平衡)に維持継続されるものを言う。換言すれば、エントロピーが増大する力、つまりエネルギーを散逸させる力により、秩序を持った構造が生まれるわけである。

 これは無機物であっても、有機的に各部分を動的に調整し、緊密な連関を持ちながら全体を形成する、秩序を持った構造をつくり得るところから、生命の起源に関係しているのではないかとも考えられている。
 

 継時的にシステムの内部も外部も、全く同じ温度である完全な熱平衡状態が、実際に存在しているかどうかは別として、計算上は変化がまるでなく安定しているので、この状態ではエントロピーの生成量はゼロとなる。しかし非平衡状態であれば、常に何らかの変動がなければならない。つまり、エントロピーの生成量がゼロとなることはあり得ない。

 一般的には、システム外部の変動がシステム内部の変動に影響を与える。例えばコーヒーカップの中のコーヒーの温度は、外気温に左右される受動的なものである。熱平衡系では、システム周囲の変動性が一定に保たれていれば、システム作動の不変性が増大する。このとき、システム作動の変化が周囲の変化と一致していれば、システムはより安定するはずである。コーヒーの温度は外気温に緩やかに近づいていく。

 これだけであれば単純な熱平衡系であるが、このコーヒーの中にミルクを入れてみると、褐色が即座に乳褐色になるわけではない。一旦沈んだミルクが浮き上がり、様々なマーブルパターンを形成したあと、やがて混ざり合って均一な乳褐色になる。この状態は非平衡系であり、ミルクを入れる量や速度、入れる位置、温度差などの初期条件により、どのようなマーブルパターンを形成するかは、カオスであると思われる。

 わずかな時間の間に、コーヒーカップの中では多様な変化が起こる。温度の異なるコーヒーとミルクが混ざり合うとき、互いの間で熱の出入りがあり、そのエネルギーの散逸に伴って、様々なパターン構造を形成する。このとき、コーヒーカップの内部に生じるマーブルパターン構造の変動性は、コーヒーカップの周囲の変動性より大きくなっていると言える。

 この「変動性」を物理学の用語に直せば、ある特定の変換の下での、系(=システム)の様相の不変性を、「対称性」というわけであるから、「非対称性」ということになる。全体的に見れば、どこにも大きな変動は見られない。コーヒーの温度が、法則性を持って室温に近づいていくことは不変であり、法則対称性を維持している。

 しかしながら、散逸構造(=非平衡開放系)であるコーヒー内のマーブルパターン構造の非対称性(変動性)は、周囲の法則対称性=緩やかな温度変化より増大している。つまり、系全体はエントロピー増大則に従っていて、全体的な法則対称性(不変性)が破れていないにも関わらず、局所的に大きな変動が起こっている。緩やかなエントロピー増大の流れの中で、コーヒー内のマーブルパターン構造は、均一に広がらず、うず潮のようにエネルギーの入出力に伴い、凝集したり拡散したりして、パターンを形成し、エントロピー増大則に従うどころか逆行することすらある。

 プリゴジンは、このような局所構造の変動性増大を、「自発的な対称性の破れ」が起こっているためと考えた。「自発的な対称性の破れ」という概念は、南部陽一郎博士が1960年代に提唱した素粒子物理概念であり、これにより博士は2008年にノーベル物理学賞を受賞している。

 「自発的な対称性の破れ」とは、ある対称性=不変性を持った系がエネルギー的に安定した状態に落ち着くことで、より低い対称性の系=非対称な系へと移る現象やその過程を指す。

https://astro-dic.jp/wp-content/uploads/spontaneous_symmetry_breaking-1.png
自発的対称性の破れのイメージ図。水平回転対称性が保たれた状態(a)と、破れた状態(b)
公益社団法人 日本天文学会 天文学辞典
「自発的対称性の破れ」より引用
https://astro-dic.jp/spontaneous-symmetry-breaking/
 

 物理や数学で「対称性」を扱うときには、その厳密な定義が必要になるため、数学者のヘルマン・ワイルは「対称性」を「何らかの【行為】を施すことのできる【対象物】があり、その行為が終了したあとの対象物が、行為を施す前と【変わらない】とき、対象物はその行為に対して【対称】である」と定義している。

 【行為】とは興味と持った対象に対する何らかの働きかけ=操作を意味する。物理では、この操作を「変換」と呼ぶ。変換を行った後に対象物が変換前と変わらなければ、それを「変換に対して不変である」、あるいは「変換に対して対称である」と言う。

 ここでの対象物とは、「興味を持った対象」であれば何でもよく、球体のように具体的な形を持ったものである場合もあれば、数式のように抽象的なものである場合もある。

 球体は、どの角度から見ても同じ形態である。見る角度の変更という変換を与えても不変であるので、空間における全方位回転変換に対して対称性を持つ。また数式において、数式内の文字を入れ替えても=で結べるものを対称式と言う。
 

 南部陽一郎博士は、量子物理学における「自発的対称性の破れ」について、「系は対称的であっても最低エネルギー状態は対称的でないこと。その場合、最低エネルギー状態が複数あり、縮退する」と説明している。縮退とは、量子物理学において、二つ以上の異なったエネルギー固有状態が、同じエネルギー準位(energy level)を取ることを言う。

 (量子論では、系の物理量やエネルギーを測定した時、測定値にバラつきがある。しかし、同じ系であれば、バラつき具合もある範囲で定まっており、これを水準の高低になぞらえてエネルギー準位と言う)
 

 例えば、ある大きさ、あるいは質量を持った物体があるとする。いわゆるスカラーである。スカラーはスケールと同じ語源で、ラテン語の「梯子 scalaris」から来ている。つまり、座標などに関係のない個々物を意味する。これに運動方向が付くとベクトルになる。ベクトルはラテン語の「運ぶ vehere」から来ている。ベクトルを持っていない状態では、この物体は空間における対称性を持ち、どのように動いてもいいはずである。しかし、一旦動き出せば特定の方向が決まる。ここで、それまでの空間対称性が崩れる。

 先の図のように、山の頂点にある物体は水平であれば、どこから見ても対称であり、位置エネルギーを持つ。位置エネルギーはポテンシャル・エネルギーであり、物体がある位置を取っていれば、その物体は内在的にスカラー・ポテンシャルを持つ。物体が山から落ちて下の溝に入ると、位置エネルギーが最低になるとする。溝に入った状態では、水平対称性が崩れている。しかも、どこに落ちてもいいわけで、落ちたところでの固有のエネルギー状態は複数あるが、エネルギーのレベルは等しい。

 全体としてのシステムは、ある法則に則っている。つまり、システム内部の存在はどこから見ても同じ状態である。しかし、システム内部での存在が最低エネルギー状態になったときには、見え方がそれぞれ異なり元の法則に則らない。

 法則とは一定の条件下で、いつ、どこでも事物の間に成立する、普遍的、必然的関係であり対称性を持つ。「自発的対称性の破れ」とは、短絡的には事物がある状態では、元の法則から外れることを意味する。これは、その事物が新たなその状態を維持するために、システム作動原理を能動的に生み出している。換言すれば、事物自体が新しい法則を生み出している。

 例えば、受精卵はまだ何物でもない一つの細胞であるが、それが分裂に伴い特定の生物の体を形成する(かつて塩川満章D.C.は、これこそがイネイト・インテリジェンスであると言っていた)。このとき、受精卵のポテンシャル・エネルギーは非常に高く、生物の体を形成するに従ってポテンシャル・エネルギーは低下する。

 発生において、人間の手の指は5本であるが、5本でなければならない明確な理由があるわけではない。3本でも6本でも良いはずである。このどれでも良い状態が、自己決定的にどれかに定まることは、本来のどれでも良いという対称性を破ることになる。これが「自発的対称性の破れ」という概念と言える。
 
 さらに、先の熱平衡系の概念を人体に置き換えると、外環境の変動(非対称性)が一定であれば、人体内部環境の不変性(対称性)が増大する。このとき、人体内部環境の変動(非対称性)が、外環境の変動(非対称性)と一致すれば、人体内部環境の恒常性はより安定すると考えるのが、今までの人体概念であろう。これは、元から存在している法則に従っており、その法則から外れることはない。つまり、どこまで行ってもある対称性を持つ。

 言わば、この段返り人形のように、常に階段幅と段の高さが一定で、外環境の変動が人形内部の変動と一致していれば、対称性があり、スムーズに階段を下りることができる。
https://www.youtube.com/watch?v=tEmeaVuum38

このような考え方が、従来の医学における人体概念とすれば、カイロプラクティックのイネイト・インテリジェンス概念は、「自発的対称性の破れ」と共にある。つまり、階段であろうが、山道であろうが、円滑に動けることが健康な身体であるとすれば、身体の運動性能は外環境の多様な変動に対して、自発的に対称性を破っていかなければ動けなくなる。

 本来の人体内部システムが、エネルギーの入出力を伴う非平衡開放系=散逸構造であれば、その変動は外環境の変動より内在的に大きくなる。つまり、人体は外環境に対して受動的ではなく、能動的でダイナミックなシステム作動により、人体を維持・活動させている。

 そもそも、生物は本来のエントロピー増大則に対して、それを逆行するような状態をつくり出すこと、シュレディンガー風に言えば、「負のエントロピー」を取り込むことで、自身を維持し種の繁殖を行っている。つまり、エントロピー増大則に対して「自発的な対称性の破れ」を起こしている。

 その意味で、「自発的な対称性の破れ」とは、イネイト・インテリジェンスの表れの一つであり、サブラクセイションを形成する力でもある。人体は常にあるポテンシャルを持っている。このポテンシャルの低下発現である、「自発的な対称性の破れ」は、どのように変化しても良いということであり、その変化が実際の外環境の多様な変動に追従できなければ、システムの作動は不安定になる。サブラクセイションは一つのパターンとして、そこに生じる。

 イネイト・インテリジェンスは、「盲目なる生存意志」のように、行き当たりばったりのその場主義であり、長期的展望があるわけではない。そのときは良くても、時間経過に従い、生体システム作動に齟齬が出てくる可能性が排除できない。そのため、イネイト・インテリジェンスは外環境の多様な変化に対して、サブラクセイション=作動するがゆえに起こる作動不良を生み出すことになる。アジャストメントは、このような盲目的作動を一旦停止させる行為である。

 人体には秩序がある。それは法則性を持つということであるが、その法則性は画一的なものではない。日々、新たに生み出されるような秩序であり、法則性であると言える。このような考え方は、本来のイネイト・インテリジェンス概念に逆らわないと思われる。
 


木村 功(きむら・いさお)

・カイロプラクティック オフィス グラヴィタ 院長
・柔道整復師
・シオカワスクール オブ カイロプラクティック卒(6期生)
・一般社団法人 日本カイロプラクティック徒手医学会(JSCC) 副会長兼事務局長
・マニュアルメディスン研究会 会員
・カイロプラクティック制度化推進会議 会員

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