斎藤信次残日録 其の六十一
第3回 カイロプラクティック・フェスティバル
「昨日、今日、明日」②

 2日目スピーカーのトップバッターは荒木寛志君。彼との関係を語るとなれば、まず馬場信年氏の話をしなければならない。話は45年ほど前に遡る。当時、竹谷内一愿氏が4代目の会長を務めていた日本カイロ総連盟(JCA)という団体があり、成田空港近くの成田ビューホテルで大きなイベントを催していた。前にも書いたが、展示販売員として引っ張り出されていた私は、当然のごとくそこに行かせられた。そこでDCでは竹谷内3兄弟、幾世、井村、伊藤氏ら、ほかに後々お付き合いさせていただくことになる、村松、守屋、馬場、佐々木氏ら、若手では小野、阿知波君らがいた。実にいろいろな人たちと出会うきっかけになった。今は全員、暦が還った人たちばかりだが。その後、5代目会長が村松氏となり、しばらくして分裂し、日本カイロ・アカデミー(NCA)が結成された。先に挙げたDC以外のほとんどのメンバーがNCAに移った。彼らについても書きたいことがあるが、それも後日の機会とさせていただく。馬場氏はNCAの立ち上げにも参加していたが、九州カイロ同友会の生みの親でもある。九州生まれの高倉健ばりに侠客の雰囲気を持ち、それでいて周りをよく見ていて実に細やかな配慮をする。飲み屋に行けば社交辞令ではないウェルカムの声が上がり、周囲の人たちからも慕われる、「健さん」のノリで言ったら正しく「信(のぶ)さん」といった感じだ。私も信(しん)だが全く違う。同じマネをしようにも様にならない。その馬場氏から後継者として指名されたのが荒木君である。
 馬場氏が「九州から大勢で東京、大阪に行くくらいなら、講師を呼べばいいだろう」と言ったかどうか定かではないが、結果そうなった。福岡での安藤、大場、栗原DCらのセミナーが次々に開催された。そのほとんどの段取りをそつなくこなしていたのが荒木君だった。そんな彼だが、初めて会ったときは「うわっ」と面食らった。髪は背中まで伸ばし、着ているスーツの色は辛子色(その後、紫も着用)で、とても普通には見えなかった。若き日の伝説もハンパなかった。どこでこの変貌を遂げたのか、何と言っても馬場氏の存在が大きかったと思う。その後、荒木君は同友会の会長を務めながら、日本カイロ師協会(JSC)の会長、日本カイロ徒手医学会(JSCC)の副会長兼学会誌編集委員長などを歴任し、その確かな理論、技術もさることながら、人間味溢れる振る舞いに惹かれたファンも多く、方々からセミナーの依頼を受けて出向いている。もう何年前になるか、荒木君の自宅の改築のお披露目があり、お誘いを受け熊本は荒尾まで伺った。その際、馬場氏が神事の装束を身につけ祝詞(のりと)を奉じている姿を見たときには、この2人の結びつきに感動したものだった。そんな2人のいる、そして素敵な会員の面々、しばらく伺っていないが九州カイロ同友会、素晴らしい会である。

 続いてはワークショップ第2弾。前回も書いたがウチでシリーズ・セミナーを受け持ってもらっている2人にお願いしている。A会場が古谷真人氏(まーちゃん)。彼との付き合いも30年を超える。江崎器械の先代社長(健三氏)の紹介でお会いしたのが始まりである。埼玉県草加市で開業し、法政大学の陸上部出身でコーチ兼トレーナー、長野冬季五輪の公式トレーナーなどの実績から、古谷詣で、草加詣でと言われ、来院する陸上系のアスリートたちから絶大な信頼を得ている。大きな体に似合わずとても手先が起用で、施術、特にテープを貼る姿を見ていると「こうじゃないと自分のテープを作ろうなんて思わないわな」と感心する。カイロも創術カイロでガッツリ学び、根っからの探求心から独自の創意工夫で施術を組み立てている。患者さんにとってとても力強い味方である。
 彼とも入魂の付き合いをさせていただいているが、より関係が深くなったのは2012年に出版した「強くなりたきゃ これを読め‼」を手掛け始めてからである。当時の関係者から「もっと真面目なタイトルを」と言われたが、「ふざけて付けているわけじゃない」と、古谷氏も私も全く意に返さなかった。その後も「もっと~」、「PM~」と3部作を完成させた。「もっと~」を出版した2015年からは、「軸トレ塾」を開始し対面、オンラインで昨年末まで続けたが、10年をひと区切りとして今年からは新たな切り口の対面セミナーを開始した。チーム・フルタニのメンバーは、元プロ野球選手の弟さん、名古屋の盛人君(もりちゃん)、東海大学空手部で主将も務めた長野の土井さん、オリンピック候補選手のトレーナーも務める草加本院の副院長、勝俣君(かっちゃん)の3人、セミナーの実技の時間には、チーム一丸となって懇切丁寧な指導にあたっている。

 B会場は辻本善光君。今回の進行役もお願いしているので、前回の本欄でも紹介させていただいた。Web、対面セミナー、昨年に続いての本イベントのスピーカーと、何を頼んでも「いいですよ」と快く引き受けてくれる、私にとってとても心強い人材である。丸山同様、昨年からの連続登壇なので、詳しくは昨年の案内、この残日録のバックナンバーから掲載された稿を参照していただきたい。

 午後からの3時間は、シオカワスクール出身の上部頚椎のスペシャリスト、賀来史同氏と、そのスクールの創設者、塩川満章氏の師匠、弟子の揃い踏みで、カイロ哲学の時間だが、塩川氏の申し出により、プラス「座位でのアトラス治療の秘法」を公開してくれるとのことである。楽しみだ!

 まず賀来氏、彼とのお付き合いは比較的日は浅いが、その分、お付き合いが始まってからは奥様も含め、とても中身の濃いお付き合いをさせていただいている。なぜこれまで賀来氏とのお付き合いがなかったかと言うと、昔エンタプライズという出版社があり、そこに私からすると若くして亡くなってしまった牧原という、ライバルでありながらそんなことを全く感じさせないナイスガイがいた。酒は飲むわ、煙草は吸うわの剛の者で、年も私より一つ下の同世代、よく夜中まで飲み歩いた。ある晩、彼が健康診断の前日だというのに深夜まで付き合った。あとでその結果を聞いて、ひっくり返りそうになった。中性脂肪2,000という驚異的な数字を叩き出し、即精密検査となったらしい。その結果も、前の数字を聞いていたので驚きも小さかったが、800というなかなかの数字だった。これはまずい、と自責の念に駆られたが、それ以降も飲む頻度が減ることはなかった。
 そんな付き合いの中で、お互いの執筆者には手を出さないという暗黙の了解があり、同社に賀来氏の出版物が数冊あったので、自然にアプローチしなかった。それが3年ほど前にご子息が私のオフィスに来る機会があり、それがきっかけで賀来氏からご丁重なお手紙をいただき、連絡を取り合うようになった。そこで氏が出版を熱望していた「B.J.クリニック」を、2年前のカイロ・デーに世に出すことができた。熱望していた賀来氏にとっても、また私にとっても2人の出会いの証のような本なので、売れるのが一番嬉しいが出版できたことに喜びを感じる一冊となった。出版後も何かと巣鴨のオフィスをお訪ねすると、いつも奥様と一緒にお相手してくださり、ほぼ同世代の3人の会話は尽きることがなかった。今は東京のオフィスを新大塚に移し、また長野にご自宅、オフィス兼ミュージアムを建設中で、このイベントとほぼ同時期に完成予定とのことである。その建設中の写真をいつも送っていただくが、建物の佇まいが周りの緑と調和したとても素晴らしい雰囲気である。お誘いいただいているので、遠慮せずに是非一度お邪魔させていただこうと思っている。

 さてドン尻に控えしは、世界のMitsu、塩川満章DCである。初対面から45年経つが、いつの頃からか「ドクター」と呼ばせてもらい、もっぱらプライベートでのお付き合いをさせていただいている。プライベートのドクターはとてもお茶目で、お陰様で数え切れないほどのエピソードを目の当たりにしてきた。ネタとして披露しているものもあるが、まだまだ披露しきれていない。そんな話を聞きたければ、私を酔わせ、その気にさせてからお尋ねあれ! ただ私より先につぶれ、私をその気にさせられなければ、時間切れ、ジ・エンドということで! ドクターの業界における知名度、存在感については、今さら私が話すまでのこともないだろう。正にレジェンドである。昨年も講師を引き受けてもらっているので、昨年の案内、この残日録のバックナンバーから掲載された稿を参照していただきたい。
 

左から、荒木寛志氏、古谷真人氏、辻本善光氏、賀来史同氏、塩川満章DC

 

第3回カイロプラクティック・フェスティバル
「昨日、今日、明日」9月27、28日開催!

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斎藤 信次(さいとう しんじ)
2016年6月、科学新聞社の代表取締役社長を勇退、顧問に就任今後はこれまでの経験を活かし、同社の出版事業をサポートするかたわら、広く手技療法界全体の活性化を目指し、独自の活動を展開していく予定幅広い人脈を持ち、また人情味にも厚く、業界の良き相談相手であったことから、今後ますますの出番が予想される力強い助っ人

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