岡井健DCのI Love Chiropractic !
「この手で感動させ魅了する」
皆さんお元気ですか? 今年も残すところ、あと2か月を切りましたね。先月の初め、東京で毎年秋恒例のセミナー、マイプラクティスとソウルナイトを開催しました。とてもいい内容であったと自負しています。しかし、参加者がお世辞にも多いとは言えず、周囲からは「最近はこんなものですよ」という声さえ聞こえてきました。私も渾身のセミナーをしているので、一人でも多くの人に参加して欲しいというのが本音です。私のセミナーに参加していただければ、わかっていただけると思うのですが、私たちが日常となっている診療生活の中で、知らず知らずにうちに忘れてしまっていたり、色あせてしまっていた大切なものを思い出させる、カイロ魂満載の熱い内容になっています。それはテクニックだとか、フィロソフィーだとか、団体の違いなどを超越して、すべてのカイロプラクター、施術家の心に響くものだと思っています。
ソウルナイトにしても、「こんな大事な話を聞き逃すのは勿体ないよ!」という内容で、もっと多くの人に聴いてもらいたいと強く思いました。そして大いに反省しました。業界に元気がないことを嘆くより、自分の熱量が足りてなかったことを大いに反省したのです。実は、ソウルナイトでの話を構成するために、ソウルナイトを何時頃始めたのかをネットでチェックし、再確認しました。すると、当時は活発にアップデートしていたソウルナイトのブログが出てきました。そこからは、やっていた本人の自分でさえ、驚くほどの熱量を発散していることを感じました。毎日のようにブログを更新し、業界を盛り上げようと必死に皆さんに協力を求め、ソウルナイト当日までカウントダウンをしながら、諦めずに最後まで参加を呼びかけていた自分がいました。
東京、大阪、福岡と3夜連続で500人以上の参加者を集めたのをはじめ、幾度も立ち見の参加者が出るなどの盛況ぶりがうかがえました。東京は芝公園の、まだ咲かない桜の下で大勢で輪になって打ち上げを行うなど、とてもユニークで楽しい集まりでした。ところが、どうでしょう? いつの間にかそんな熱量が失われ、人が集まらないと嘆く、ただのぼんくらになってしまっていた自分にショックを受けました。業界に元気がないと思うのではなく、業界を元気にしていかなければならないのに。18年間続けてきたという年数だけではなく、その熱量も誇れるようにしなければなりません。そして一人でも多くの方をカイロのファンに、虜にしたいのです。
私は楽器の演奏もできないし、歌も上手く歌えませんが、いい歌や音楽を聴くことは大好きです。背筋がゾクゾクと痺れるような、鳥肌が立つような感動を覚えたときに、その素晴らしいパフォーマンスに感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。心を動かされる芸術に感動するように、手の込んだ美味しい料理に感動するように、細やかで愛情の溢れるもてなしに感動するように、私も自分の手で患者を感動させ魅了したいと、いつも思っています。私のクリニックで、多くの方が私の治療やアジャストメントに感動して、カイロに魅せられるようにと気持ちを入れて日々過ごすように自分を鼓舞しています。
音楽が人々を感動させ、勇気づけ、生きる力を与えるように、私たちは自分の手で人を感動させ、元気にしていくことができると私は信じています。自分の手で人の人生を変えることができて、幸せにしてあげることができるなんて、凄いことだと思います。何度も患者さんたちの涙を見てきました。苦しみから解放されて、希望の光を見出した人たちの姿を見てきました。それだけに、自分の責任も大きいと感じますし、常に自分自身を成長させていく努力を怠ってはならぬと思います。
人々を自分の手で感動させ魅了し、幸せにすることができる仲間をもっともっと増やしたいと思います。そうすれば健康で幸せな人が、世の中にどんどん増えて平和な世界になることでしょう。ぼんくらだらけの業界に成り下がるのか、それとも自分の手と心で人々を感動させ、魅了させる気概を持った活気のある業界にするのかは、私たち一人ひとりの腕とやる気にかかっているのではないでしょうか。あなたは、ぼんくらですか? それとも感動を与え続け、業界を活気づける人ですか? 私は最低でもあと20年、できれば命絶えるその日まで必死に走り続け、人々を感動させたいと願っています。そして、志を同じくする多くの仲間と楽しく生きていきたいと思っています。皆さんお一人お一人がその仲間の輪に加わってくれることを心から願っています。まずは、来年のマイプラクティスとソウルナイトに向かって始動し始めたいと思います。是非、皆さんの力をお貸しください。ゾクゾクするような感動を与えられる業界へとなるために。
岡井健(おかい たけし)DC
福岡西陵高校を卒業後、1984年単身アメリカ、ボストンに語学留学。その後、マサチューセッツ州立大学在学中にカイロプラクティックに出会い、ロサンジェルス・カレッジ・オブ・カイロプラクティック(LACC)に入学、1991年に同校をストレートで卒業する。
1992年、カリフォルニア州開業試験を優等で合格。1991年から1995年まで、カリフォルニア州ガーデナの上村DC(パーマー大学出身)のクリニックで、アソシエート・ドクターとして勤務した後、サンフランシスコ空港近郊のサンマテオにて開業。2001年にはシリコンバレーの中心地、サンノゼにもクリニックを開業し、サンフランシスコ・ラジオ毎日での健康相談や地方紙でのコラム連載でも活躍。
また、積極的に留学中の学生たちの面倒を見、その学生たちの帰国を皮切りに日本での活動を始める。科学新聞社(斎藤)との縁は、2005年に出版した「チキンスープ・シリーズ カイロプラクティックのこころ」の監訳に始まり、以降15年以上にわたって出版物、マイプラクティス・セミナ、カイロ-ジャーナル記念イベントなど、またカイロプラクティック・クラブとして「ソウルナイト」(スタート時はフィロソフィーナイト)など、ありとあらゆる場面で協力関係にある。
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