斎藤信次残日録 其の六十
第3回 カイロプラクティック・フェスティバル
「昨日、今日、明日」①
前回、今年のカイロ・フェスのことをチラッと書いたので、あと2週間と迫っているが、今回から2回にわたって、今年のスピーカーと私の関わりを簡単に紹介させていただく。まず今回は初日のスピーカー陣。
イベント全体の進行役は辻本善光君。昨年、適任と思い頼んだ木村功君が、「他のことは何でもやりますから進行役は勘弁してください」と言うので、もう辻本しかいないなと頼んだら、「わかりました」のひと言、彼にはホントに助けられる。昨年もスピーカーを引き受けてもらい、この数年ずっとWeb、東京でのハンズオン・セミナーと引き受けてもらっている。さらに、彼が主宰する愛媛勉強会が、神戸、高知、和歌山で開催されるときには、必ず前日から現地入りし旅行気分を満喫させてもらいながら参加している。高知では地元の山﨑君にお世話になり、桂浜、城、沈下橋、朝市、ひろめ市場、なべ焼きラーメンなどを、辻本の地元、和歌山では城、東照宮、ラーメン、そして昨年は高野山、今年は熊野古道をリクエストし、立場を利用した横暴を極めている。昨年の高野山も良かったが、今年は大阪のラルゴの古賀さんが前日に喜寿の誕生日だったため、辻本夫婦の圧倒的な協力を得て、お祝いも兼ねて熊野古道をセットしてもらった。辻本、山﨑、難波、山下、古賀さんと気心の知れたメンバーと共に登る階段地獄から絶景への道のりは、記憶に残るとても素晴らしい一日になった。そのメンバーたちが昨年に続き、勉強会の一環として今年のフェスにも参加してくれる。熊野の余韻に浸れることを楽しみにしている。

左から、冨金原伸伍DC、荒川恵史氏、丸山正好氏、井上裕之DC、桑岡俊文氏
講演のトップバッターは冨金原伸伍DC。氏を1980年に初めてお見かけし、その後、何度かお会いしているが、ホントに親しくお話しさせていただくようになったのは、この数年である。話は少々横道に逸れることになるかもしれないが、当時、中京カイロプラクティック学院という学校の学院長を村井正典氏がされていた。村井氏とはその後、日本カイロ連絡協議会(カイロ連)等、浅からぬ関係があり書きたいこともあるが、それは後日の機会とさせていただく。1980年に名古屋大学医学部出身の整形外科医、伊藤不二夫氏が大会長となり、名古屋大学の鶴舞講堂で日本カイロプラクティック学会が開催された。日本を代表する錚々たるメンバーが一堂に介し、カイロ歴の浅い私でもわかる、それは、それは見事なものだった。そのパネルディスカッションに3人のDCが登壇し、その中の一人が冨金原氏であった。因みに残りのお2人は塩川氏と竹谷内一愿氏である。
またその頃、中京カイロで伊藤氏が中心となり、「ブロック・テクニック」(当時3万円)という本を出版していた。その本の執筆協力者として、村井氏、冨金原氏、一昨年亡くなられた加瀬氏らが名を連ねていた。その本がその後ある事情で在庫がなくなり、ウチで廉価版(1万円)として復刻する話が進み、執筆協力者の方々に了承を得るため、私がその連絡係を務めた。そのとき冨金原氏と初めて直接やりとりさせていただいた。その後、WFC世界大会を前に京都にDC諸氏が集まったとき、懇親会で芸妓さんを呼び、その芸妓さんと一緒に撮った写真に、なぜか冨金原氏と私が一緒に写っている一枚がある。
やはり前置きが長くなった。数年前、カイロ制度化推進会議の山田事務局長と、神戸の冨金原氏のオフィスに伺う機会を得た。そこでは何気ない昔話をさせていただき、その後、氏がほぼ毎日、夜な夜な出没する飲み屋があって、必然的にそこにお供した。そのとき初めて胸襟を開き、ゆっくり話をすることができた。そしたら、その諸々の昔話が氏にとっても昔懐かしい話だったようで、すっかり打ち解け、そこからは氏の経験豊富な諸々の話に魅入られ、その後、出張で関西に行く際には、三宮の件の店に行くのが楽しみの一つになった。とにかく話が面白い。私は治療家ではないので、氏からテクニカルな話を聴くよりは、経験から滲み出てくる人生哲学のようなものをより聴きたいと思っている。今回もそんな話をしてくれるはずだと確信している。
昼休みを挟み午後からはワークショップ。ウチで対面のシリーズ・セミナーを受け持ってもらっている4人に、初日、2日目、2人ずつお願いしている。2会場の同時進行で、初日はまずA会場が荒川恵史君。彼とも長い。何年前になるか覚えていないが、全療協のイベントで会ったのが初めてだと思う。それ以降は、松本徳太郎DCのご自宅での全療協のカイロ手技部会の集まりに、なぜか私も同席してことがあり、そのときとか、あとは方々でよく会うことがあった。前々から人前で話している彼のスピーチを聴いていて、当人が好んで話しているかどうかはわからないが、「違うんだよ、そのノリじゃないんだよ」と思っていて、彼のマニアとしか言いようのない特異な探求心、また武道・武術を通して得た独特な感覚を、ウチの対面セミナーで披露してもらいたいものだと思っていた。そんなときに彼が主宰し月一でオンライン四方山話会があり、そこに参加し雑談をしながら、ちゃっかり今年からシリーズ・セミナーを受け持ってもらった。今回のフェスでもマニアック全開の話が用意されている。乞うご期待である。
B会場は丸山正好君。取り敢えず「君」を付けたが、前々から私が「さん」とか「君」、ましてや「先生」と呼ぶと、「悪寒がする」「体が痒くなる」と言うので、当日は普段通りでいく。今世紀が始まるちょっと前からウチで開講した「増田ゼミ」、その受講生として参加し、今となっては神経学を学び続ける唯一の生き残りと言っても過言ではない存在だ。彼にもコロナの時期を挟みWeb、対面セミナーをやってもらっている。このイベントのスタッフでもあり、昨年も2日目の最終で講師を担当してもらった。がしかし、所定の時間になってもなかなか終わらず往生させられた。あとで聞いた理由だが、持ち時間の1時間半をWebセミナーの2時間と勘違いし、まだ大丈夫と思っていたと宣う。今年は間違えるなよ! 彼の紹介は昨年の案内や、この残日録のバックナンバーから掲載された稿を参照していただきたい。
続いては井上裕之DC。いつもは裕之の裕からアメリカで呼ばれていたHIRO(ヒロ)と呼ばせてもらっている。出会いをはっきり覚えていないが、30年ほど前に留学を考えていた彼が来社したらしい。留学経験のない私のところになぜ、とお思いの方もいらっしゃるかもしれないが、それまでに帰国したDC諸氏から留学の苦労話を山ほど聞かされていたので、ある程度の情報は提供できた。当時まだアラフォーだった私は、自分より年下の訪れた人たちに「留学ってそんなに甘いものじゃないよ」と知ったかぶりに言っていたようだ。彼にも同様のことを言ったらしく、帰国してから会ったとき「覚えてますか」と言われ、よくいけしゃあしゃあとほざいたものだ、と冷や汗が出たことを思い出す。
それからは、船堀の今井先生のところにいたとき、三鷹で開業したあとも頻繁とは言えないまでも会う機会があり、何と言ってもこの10年ほどは、アトラスオーソゴナル(AO)のテキストの翻訳出版、育成講座のスタート、AOJ(ジャパン)の設立と、相談役としてアドバイスさせていただいている。年一で忘年会か新年会のタイミングに、育成講座に顔を出しメンバーとの交流も図っている。日本に「やあ、やあ我こそは」とAOのスペシャリストを名乗る輩がいるようだが、彼以上の本物はいない。彼こそが正真正銘、AOの創始者、ロイ・スウェット氏からお墨付きをもらった、日本在住の唯一のDC、BCAOなのである。話は本物から聴くのが一番、最も新しいAOの世界を覗き見ることができる素晴らしい機会だと思う。
初日、最後に控えしは桑岡俊文氏、ご存じKCSの総帥である。彼とは35年ほど前に、ウチが募集した米国カイロ視察・研修ツアーに何人かの仲間と参加していただいたのが初対面である。当時、今の手のひらサイズとは違って、ごついビデオカメラを持参し、着ているものもブランド品、これはハンパない、違うなと思ったのを覚えている。それ以降は頻繁にお会いするという感じではなかったが、それでも創術カイロのセミナー会場、東京での会食、主催されているイベント会場でと、何度かご一緒させていただいている。忙しい方で時間の制約の中でお会いし、なかなかじっくり話す機会には恵まれなかったが、今回は私がホスト。懇親会にも参加を予定していただいているようなので、時間の許す限り楽しんでいただけるようにしたいと思っている。
第3回カイロプラクティック・フェスティバル
「昨日、今日、明日」9月27、28日開催!
斎藤 信次(さいとう しんじ)

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