『科学新聞社プレゼンツ 10月イベント』
その6 泰然自若 榊原直樹氏

 「『さかきばら』の5文字が長いんで、別な呼び方をしたいんですけど、今まで何と呼ばれることが多かったですか?」と失礼極まりないことを聞いても、「そうですよね、長いですよね、たぶん、そんな理由からなんでしょうね! 大学時代は『さかき』と呼ばれていました」とさらりと答えてくれる。いつの間にか、吸い取り紙のように会話に引き込まれてしまう。それで「榊さん」、「直さん」と勝手に呼ばせてもらっているが、彼が東北大学の農学部の出身で、知り合ったあとに同大学院の医学研究科で研究を始めたことも、宮城県生まれの私にとっては距離を縮めさせてくれる一因だった。いつも自問自答し、あるべき姿を求めている。ちょっと前になるが、「とにかく今は治療することが楽しい、没頭できている」と言っていた。その落ち着き、明確なものの考え方、話す内容、年齢がひと回り以上も下とは思えないほど何かを感じさせ、いつも会話を楽しませてくれる。彼の紹介でプラユキ・ナラテボー氏に会えたことも感謝している。

 彼も岡井氏同様、LA留学時にお会いすることはなかったが存在は知っていた。当時、中川貴雄氏夫人が「直樹」「直樹」と呼んでいたのを思い出す。その後、お会いしたのも岡井氏から遅れること1、2年、2005、6年のことだったと思う。その前に、当人からではなく彼を知る人から「名古屋にこういう先生がいるのをご存じですか?」とか、「凄い先生がいるんですけど!」と他薦の連絡を何件か受けたが、その方たちからそれ以上のことはなく会うには至らなかった。

 お会いしてからは、ホントに20年弱のことかと思うほど、いろんなことをお願いし引き受けてもらった。10年以上にわたって、ジャーナルの紙面をクオリティの高い連載で飾ってくれた。ホームページ掲載後、最も閲覧数の多い記事として、注目度の高さをうかがわせてくれた。また、今はお休みしているが東京でのセミナーも、コロナ禍も休まずに続け、彼のファンとなった受講者たちも休まずに参加してくれた。そういえば、セミナーの始まる前によくある力士が治療に来ていた。不謹慎な言い方だが、その治療風景は肉弾戦そのもので、見ごたえのあるものだった。治療後よく、「ひと仕事(セミナーを)終えたときみたいな気分」と言っていた。学会での講演、ワークショップも、いつも快く引き受けてくれた。地方でのセミナーも数多く企画させてもらった。行った先々で近くの温泉宿に泊まり、風呂に入り美味しいものを食べて過ごしたひとときは、今でも忘れられないし最高の気分だった。

 これまで、いろいろな話を聞かせてもらった。まず帰国にあたっては、インドに行った帰りに日本に立ち寄り、そのまま居ついてしまったこと。また、この何年か政情不安のミャンマーに、独自のルートを開拓し何度も足を運び、孤児院の子たちにボランティアでカレーやシチューを差し入れたり、病院でカイロプラクティックの施術を提供したりしたこと。そして一番笑ったのは(笑っちゃ失礼かな?)、LAで猫アレルギーの彼が、数匹の猫を飼う彼女(夫人)の家に入り浸るようになったら、1匹ずつ猫がいなくなり、とうとう1匹もいなくなったという話など、「うーん、只者じゃないな」というエピソードを聞いていると、彼の懐の深さ、事に動じない強さを感じずにいられない。

 できるだけ早い時期に、東京でのセミナーを再開してほしいと願っているし、彼のビジョンに沿って進められている「徒手療法大学」の構想も、実を結んでほしいと切に願っている。

※榊原直樹氏の14日のテーマは、「仙腸関節」です。

斎藤 信次

 

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