▶1日目「アジャストメントが上手くなりたい!」
1. テクニック上達に大切な思考法
• より良いアジャストメントを求める強い気持ち
• クオリティーにこだわりを持つ
• 知識をベースにしたイマジネーション力
• ちょっとした工夫で大きく変わる
• 誰よりも上手くなれる可能性を否定しない
• 奇をてらった療法より正道のアジャストメントで勝負
• 優れたアジャストメントこそ一番の差別化
• 患者のリラックス度がカギ
• あなたはオープンパックを分かっているか
• 骨を動かしたいのなら、まず動きを感じろ
2. 下部頚椎テクニックを一緒に考えよう
• 頚椎一個一個の動きを感じる
• 頚椎に触れればどの方向に動かすかを教えてもらえる
• 意外と差が出るのはサポートハンドの使い方
• 内緒にしていた技
• 実技指導
3. 上部頚椎はそんなに難しくない
• 上部頚椎を動かすことは難しくない
• 大切なのはクオリティー
• 自分の意のままに動かす
• それはアトラス? それともアクシス?
• 後頭骨は誰にも負けない
• 実技指導
4. 胸椎のアジャストは難しいよ
• 一番簡単で難しいアジャストメント
• 少なくとも2つのポジションでアジャストを可能にする
• 肋骨を傷めるアジャストに注意
• スペシフィックとジェネラル
• 実技指導
5. 腰椎のアジャストメントで腕の差が出るよね
• セットアップが雑すぎるとダメ
• 腕の差が露呈する
• ボディーロールはポイントだね
• 固定が悪ければ台なし
• 力がなければ重力を味方にしろ
• 患者の柔軟性に合わせたセットアップ
• 猫になってもらう
• 実技指導
6. 骨盤を自由自在にアジャストできれば結果が出るよね
• 骨盤は背骨のベース
• その人の癖がでる
• PIを取るのかASを取るのか?
• 仙骨にトルクをかけてアジャスト
• 骨盤を固定して動かす?
• 実技指導
▶2日目「脳への刺激こそが一番大切」
1. 刺激とはなんだ?
刺激
生物の細胞、器官、個体に、ある反応を引き起こさせる原因をいう。つまり、刺激とは、生物に反応を起こさせるような外界の条件変化ということができる。刺激の結果起こる反応は、生物の働きを盛んにするような場合が多く、こうした反応を興奮という。しかし、刺激によっては生物の働きを逆に抑える場合もあり、これを麻痺(まひ)または抑制という。 [真島英信]日本大百科全書
ここで話す刺激とは良い刺激のこと。
• 刺激がないと自分が停滞していたり、後退していることにさえ気づけない
• モチベーションを保つために大切なもの
• 脳や心を揺さぶられる刺激
• 刺激をもらえるものとの出会いを大切にする
• 刺激をもらえる場や人の確保
• 成長には刺激は不可欠
• 現状維持にでさえ刺激や努力は欠かせない
• 幸せに生きたいのなら良質の刺激を脳と心の栄養にする
2.昭和感覚を賢く味方にして活かす―昭和人間に学べ
• 昭和の歴史を知る。昭和の文化を知る。昭和の常識を知る。
• 激動の歴史
• 変化が常識-生活レベルの変遷
• 刺激に満ちた時代
• ルールなしの過ちにも満ちた時代
• 世界大恐慌1929年(昭和4年)
• 第二次世界大戦
• 高度経済成長-期待と希望
• 東京オリンピック
• バブル経済
• ギラギラしたエネルギーに満ち溢れた魅力的な時代だった
3. アメリカのカイロプラクティックの現状から学ぶ
• カイロ発祥の国、アメリカではカイロプラクティックはどうなっているのか
• 医療界全体が斜陽気味
• 学生数の減少、学費の高騰
• カイロプラクターの多様化
• 保険治療の影響
• 保険治療と実費治療
• クリニックのスタイルの変化-グループプラクティスの増加
• 実力主義、治療、マネジメント、経営
4.ポストコロナでの挑戦への提言
• パンデミックを言い訳にするのではなく活用しよう
• 自分自身の殻を破る―委縮した心を膨らませろ
• 今だからこそできることを考える
• 結局のところ一番信頼できるのは自己免疫力だと証明された
• 自己免疫力を上げることをもっともっとアピールする
• イネイトの素晴らしさを伝える絶好の機会
• どうアピールする?仲間の力、知恵、才能を結集しよう!リーフレット、ポスター
• ROFがカギ
• 皆で世の中へメッセージ発信
5.ケーススタディ
• 肩の傷害の種類
• 構造
• 原因
• メカニズム
• 治療法
• エクササイズ
• 予後
6.四肢のアジャストメントとマネジメント
• 手根管症候群
• 足と足首のアジャストメントとモービリゼーション
岡井健(おかい たけし)DC
福岡西陵高校を卒業後、1984年単身アメリカ、ボストンに語学留学。その後、マサチューセッツ州立大学在学中にカイロプラクティックに出会い、ロサンジェルス・カレッジ・オブ・カイロプラクティック(LACC)に入学、1991年に同校をストレートで卒業する。
1992年、カリフォルニア州開業試験を優等で合格。1991年から1995年まで、カリフォルニア州ガーデナの上村DC(パーマー大学出身)のクリニックで、アソシエート・ドクターとして勤務した後、サンフランシスコ空港近郊のサンマテオにて開業。2001年にはシリコンバレーの中心地、サンノゼにもクリニックを開業し、サンフランシスコ・ラジオ毎日での健康相談や地方紙でのコラム連載でも活躍。
また、積極的に留学中の学生たちの面倒を見、その学生たちの帰国を皮切りに日本での活動を始める。科学新聞社(斎藤)との縁は、2005年に出版した「チキンスープ・シリーズ カイロプラクティックのこころ」の監訳に始まり、以降15年以上にわたって出版物、マイプラクティス・セミナ、カイロ-ジャーナル記念イベントなど、またカイロプラクティック・クラブとして「ソウルナイト」(スタート時はフィロソフィーナイト)など、ありとあらゆる場面で協力関係にある。